2017.5.31-2

  • 2017.05.31 Wednesday
  • 01:43

昨日の記事の続きですが、この記事だけ読んでも意味は通じます)

 

 

「言葉はレベル低い」「言葉は陳腐」「このメディアはダメ」「このジャンルはダメ」「メールでは気持ちは伝わらない」などと言っているような人が、

 

自分自身が寡黙になるだけなら自由だし、饒舌な人を嫌うのも自由だし、特定のジャンル・メディア・メール・SNS等に手を出さないのも自由だと思います。

 

無理してまで、自分の美学や好みや価値観を変える必要はないと思う。

 

 

 

で、そういう自分の美学(価値観)に自信や愛着を持ち、それを他者に「推奨」するくらいなら素晴らしいと思うのですが…、

 

あまりにも自分の美学(価値観)だけを盲信・絶対視してしまうのは、少々狂信的すぎると思う。

 

自分の美学(価値観)に自信や愛着を持ちつつ、同時に、「これはあくまで自分個人の見方でしかない」と、わきまえようと努めることも大事なのではないかと思ってしまいます。

 

 

 

そう言うと、「もっと自信を持て」「そんなに人に気を使ってられない」「細かいこと言うな」と思われる方もいるかもしれませんが、でも、私は気を使っているわけではないのです。

 

例えば、暴力や殺人や人種差別をしてしまうことは、たいていの人は心地良くないと思います、

 

それは、「他人に気を使っている」からではないし、「細かいこと言っている」わけでもないはず。

 

他者の肉体を痛めつけたり、他者が生きる権利を剥奪してしまうような行為は、やはり、単純に不快なものだと思います。

 

 

私にとっては、価値観的なことも同じ。

 

あまりにも何か一つの見解・意見・感覚・価値観のみを盲信し、それ以外を否定するような態度は、差別や暴力やイジメとほとんど変わらない、という感覚です。

 

(とても、心地良くない。決して、人に気を使っているわけではなく。決して、自分に自信が無いわけではなく。決して、細くて気難しいこと言っているわけでもなく)

 

 

 

 

…とは言え私は、自分自身の感じていることを、常に疑ってもいます。

 

上記のように感じること自体、「気にしすぎではないか?」、「神経過敏すぎるのではないか?」、「偏見・負けん気・攻撃本能・防衛本能・利己主義・自己正当化なども、誰もが持つものだし、(もちろん私も持っているし)、ある程度は容認すべきではないか?」、

 

そのように、常に自分自身を疑っているくらいで丁度良いです。

 

 

 

要は、自分のこだわり・正義感が強すぎて、心が狭い感じになってしまっては、それもまた心地悪いのだ。

 

人間、誰もが無知で独善的で利己的な部分を持っているので、

 

そういう苦しさ・愚かさ・哀しさもまた、人類全体の宿命のように感じることもある。(妙な連帯感や同胞愛)

 

 

なので、お互い指摘し合ったり、問題視し合ったりすることも大事だと思うし、

 

同時に、あまり責めすぎない感じの柔和な雰囲気が、何より大事だとも思っている。

 

 

 

いずれにせよ、犬や猫にだって、性格や行動パターンに個体差がある。

 

(例えば、引っ込み思案な子もいれば、好奇心旺盛な子もいる。無口な子もいれば、よく鳴く子もいる。大人しくて無欲な感じの子もいれば、多動的で強欲な感じの子もいる)

 

人間だって動物。

 

たいていのことは「人それぞれ」のはずだ。

 

 

もちろん人間は、努力次第・意識次第で、性格や個性を変えようとすることも出来るし、そうすることも大事かもしれない。

 

「持って生まれた性質のまま」ではなく、自分の意識次第で変えようとしたり、性格や生き方を成長させようとすることも、とても大事だと思う。

 

 

でも、そうであったとしても、

 

どういう生き方をしたいと感じるか、どういう生き方を心地良いと感じるか、どういう生き方を自然体と感じるか、

 

何を楽しいと感じるか、何を幸せと感じるか、何に興味を感じるか、

 

何を頑張りたいと感じるか、何を頑張りたくないと感じるか、、、

 

 

決めるのは自分だし、人類、全員一致なんてしてなくて良いと思う。

 

誰もが同じパーソナリティーを目指さなくても良いし、誰もが同じアートを気に入らなくても良いし、誰もが同じ考え方・感じ方・振る舞い方を目指さなくて良いはず。

 

 

そんなわけで、「これが誰にとっても共通する幸福」、「これが誰にとっても共通する良識(常識)」、「これが誰にとっても共通する自然体」、「このジャンル・メディアは(誰がどう使っても)こういうもの・ダメなもの・陳腐なもの・心が伝わらないもの」、

 

そういう感じの考え方や言い方は、私は抵抗ありますし、大いに疑問視しています。。。

 

 

…で、さっき言ったように、そういう感じの考え方(言い方)を、責めすぎる気持ちはないのだが、

 

日々、何かに疑問・抵抗感を感じ、それを表明することは、私は、悪いことではないし攻撃的なことでもないと思っている。

 

(例えば、誰かや自分の言動が、「これは差別・偏見・いじめではないか?」と思ったら、素直に疑問や怒りを表明することが、むしろ必要ではないか?と思ってます)

 

 

一人一人の人間も、我々の社会や文化も、「今ここ」が全てではない、

 

誰でも、今後も変化・成長していく可能性のある存在だと確信しているからこそ、時には、現状に対して批判・疑問視・問題提起することも、私は必要だと思っているわけです。(※自分自身が批判されたりすることも、そんなに嫌ではない)

 

…もちろん、人間、無理して変わる必要はないと思いますし、変わらないことの魅力もあるとも思います。

 

加えて、もし何かを批判・疑問視・問題提起するにしても、その言い方(伝え方)には、最低限の礼儀は大切だと思っていますが。

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    2017.5.31

    • 2017.05.31 Wednesday
    • 01:14

    前回記事の続きですが、この記事だけ読んでも意味は通じます)

     

    (我々の)発言や行動や音楽作品の、その「内容」「中身」「雰囲気」「言い方」「伝え方」「表現の仕方」について、

     

    お互いに批判したり問題視したりすることは、私は大切だと思います。

     

    どんな作品でも、どんな仕事でも、どんな表現でも、批判や意見を言い合ってクオリティーを高めることは、まったく悪いことではないと思う。

     

     

    もちろん最終的には、どういう表現をしたいか、どういう言動をしたいか、どういう生き方をしたいかは、各々、自分で決めるしかありませんが、

     

    だからと言って、「お互いに意見・感想を言ってはいけない」「他者のやることに口を出してはいけない」ということはないと思う。

     

    (あまり作品クオリティーとか気にしすぎず、「楽しけりゃ良いじゃん」みたいなスタンスも、大いにアリだと思います。あるいは、「俺は俺の言いたいことを言い、やりたいことをやる。批判は受け付けない。意見は受け付けない」というスタンスも、賛同はできかねますが、アリだとは思います)

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      2017.5.30

      • 2017.05.30 Tuesday
      • 02:25

      ところで、「言葉はレベル低い」「大切なのは言葉じゃない」というような意見を、割とよく聞きます。

       

      (※誰かの発言・意見の、その内容を吟味する前から、「多言は陳腐」「文字や言葉では気持ちは伝わらない」「メールやSNSでは気持ちは伝わらない」というふうに、決め込んでしまうような価値観)

       

       

      そういう意見も、もちろん個人の自由だから良いのだけど、いまいち釈然としない感じもする。

       

      そのあたり、思うところを書いてみたいと思う。

       

       

       

       

      もちろん「言葉」というツールは不完全なものである。

       

      言葉では、人生や音楽の真髄を現すことは不可能に近いと思う。

       

       

      しかしながら、我々人間の多くは、「他者と気持ちを分かち合いたい」「自分の気持ちを表現したい」というような欲求があり、

       

      それを100パーセント正確に実現するツールは、今のところ、世の中に一つも存在しないと思いますが、

       

       

      我々はそれを承知で、気持ちの「分かち合い」を目指して、

       

      (あるいは、自分の想い・魂・気持ちの「表現」や「発信」を目指して)、

       

      止むに止まれず、我々は言葉を発したり、音楽を発したり、何か行動や表情やアクションを起こすのだと思う。

       

      そのこと自体を否定的に見てしまうのは、個人的には、あまり好きになれないです。

       

       

       

       

      我々の言葉も、音楽も、表情も、行動も、礼儀作法も、ジョークも、全て不完全なもの。

       

      思っていることを、誰かに完璧に誤解なく伝えるなんて、そう簡単には出来やしない。

       

      誰かの心や性格を、完璧に誤解なく理解するなんてことも、そう簡単に出来やしない。

       

      (自分の心・信念・感性・価値観・美的センスなどを、100パーセント完璧に(作品として)表現することも、そう簡単なことではない)

       

       

      でも、発言することや表現することに、尻込みしすぎることもないと思う。(慎重になる必要はあるとしても、必要以上にブレーキをかけることはないと私は思う)

       

      誰でも、自分なりに思い付いた発言・行動・表現をすれば良いと思う!

       

       

       

       

      そもそも、我々の発言や行動や作品や価値観というものは、何が正解か、何が良いか悪いか、何が愛があるかないか、何が思いやりがあるか無いか、、、

       

      そう簡単には決められない。

       

       

      だから、何が良いとか悪いとか、何が思いやりが有るとか無いとか、完璧には分からないまま、

       

      今現時点での自分の感性や信念や良心に従って発言・行動・表現するしかないと思う。

       

       

      …やがて自分の内面や価値観も、経験によって変化するだろうし、(他者からの影響や批判やアドバイスで変化することもあるし)、

       

      そうしたら、発言・行動・表現も、自然と変化するだろうと思う。

       

       

       

       

      人というものは、一生涯、信念や性格や価値観が変わらないことは稀だと思うので、

       

      毎日毎日、その都度その都度、あらためて行動や表現を選択するしかないと思います。

       

      (自分の)信念・感性・性格・快不快・価値観・善悪観などを、あまり固定化・正当化・マニュアル化してしまわず。

       

       

      だからこそ、我々はお互いに、発言や行動や作品の内容(中身)を、時には批判し合ったり、問題視し合ったりすることも、僕は大事だと思っています、

       

      誰しも完璧な人間ではないし、誰しも自分本位の尺度・立場でしか物事を見れないので、

       

      誤解してしまったり、ひどいことを言ってしまったりする可能性も、誰にでもあると思うので。

       

       

       

       

      そんなわけで、音楽作品についても、お互いの言動についても、オープンに意見や批判を言い合ったりするのは、私は全然嫌いじゃない。

       

       

       

       

      でも、発言や作品の内容(中身)を、よく吟味しないうちから、

       

      「(言葉は)どうせレベル低い」、「(文字や文章では)どうせ心が伝わらない」、「そのジャンルはどうせダメ」、「そのメディアはどうせ心が伝わらない」、「SNSはどうせ心が伝わらない」、「音楽はこうでなければならん」、「アーチストはこうでなければならん」、「言葉(文字)で語る奴は本質を分かってない」、「言葉(文字)で語る奴は理論・理屈でしか考えてない」、「こういうタイプの発言は冷たいに決まってる」、「こういう意見こそ良識・常識に決まってる」、

       

      というような感じの意見(批判)は、その発言やその作品の内容を、いっさい聞く耳を持たない態度に思えてしまう。

       

      (内容を吟味しようとする前に、外側のジャンル・パッケージの印象で決めてしまっているだけ。表現スタイルの印象で決めてしまっているだけ)

       

       

       

       

      例えば「メールやSNSでは心が通じない」「ゲームやアイドルは内容が陳腐」みたいな意見も、たまに聞くことありますが、

       

      そういう意見は、コミュニケーション方法や表現ツール・表現ジャンルという、「外側のパッケージ」で、その中身・内容まで決め付けすぎに思われてしまう。。。

       

      もっと、個々の作品ごとに、個々の発言ごとに、その内容を判断しなければいけないと思うのだが?

       

      なぜ一括りにして、そのジャンル(ツール)の発言・表現・コミュニケーションは、「全てがダメ」と思い込んでしまうのかが謎です。

       

       

      批判や問題視をするなら、少なくとも、その発言について、その作品について、その文章や言い方について、(その表現内容について)、

       

      よくよく内容を確かめた上でないと失礼だと思う。

       

       

      …もちろん、例えば夜中に路上で大声で演説・演奏などしている場合、その「内容」や「クオリティー」以前に、行為そのものが迷惑なので、

       

      そういう場合は、内容・中身を吟味する以前に、行為そのものを問題視して良いと思いますが。

       

       

       

       

      我々はお互いに、発言・行動・作品・表現の、その中身や内容や言い方(伝え方)に対して、批判を言ったりしても良いと思うけど、

       

      ちゃんと内容・中身・真意を確かめる前から、

       

      表面的なジャンルや、表現手段や、表現ツールや、言葉数(文字数)や、しゃべり方や、ルックスや、年齢や、性別や、人種や、表現メディアの種類等で、過度に見下したり否定しすぎたりしてしまうのは、

       

      イメージや先入観で、発言(表現)の内容までをも決めつけてしまっているだけだと思う。

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        先日のライブ動画

        • 2017.05.09 Tuesday
        • 14:17

        こんにちは。

         

        少し更新が途絶えましたが、生きております、生存しております、クリボー

         

        さて先日5/6は、僕が所属するもう一つのバンド「ArqphoniA」のデビューライブでした。

         

        ライブの様子がYoutubeにアップされましたので、もしよろしければWatch!

         

         

        まだまだアラいところ・反省点も多いですが。

         

        ちなみに8:28からのシンセソロとか、クラシック出身の自分には慣れない弾き方なので、少々緊張しました、

         

        その直前、わたしスーハーと深呼吸しているのがバレバレな動画です(笑)

         

         

        今後、近い将来、発表したい自作品は「シンフォニックメタル」!

         

        なので、そのための勉強のつもりでも参加させて頂いています。

         

        机での勉強も大切でしょうが、やはり実践あるのみ、でしょう。

         

        …もちろん、そういう勉強や経験値のためばかりでもなく、

         

        純粋に単純に、このメムバーの中で演奏するのが楽しいとか、リーダーの作詞作曲のこだわりに共感する部分が多いとか、

         

        そういう打算抜きの楽しさも感じています。

         

        もしよろしければ、今後チェックして頂ければ嬉しいです!

         

         

        ArqphoniAのTwitterはこちら。

        https://twitter.com/arqphonia

         

        ちなみに私のTwitterはこちらさ。

        https://twitter.com/shimpei_yama8

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