シューベルト作品紹介(インスト編)
- 2016.05.19 Thursday
- 12:23
不定期でお届けしているクラシック紹介記事です。
毎度ですが、お時間とご興味のある方限定で、お楽しみ頂ければ幸いです。
本日の記事は、私が最も愛する作曲家と言っても良いシューベルトです。
さて、シューベルト作品の特色としては、
1.旋律の美しさ、親しみやすさ。
2.光と影が同居しているような(?)、明るいとも暗いとも言えない、独特な雰囲気。
3.圧倒的な繊細美。
そんなところだと、(私は)感じています。
まずは超有名曲、「楽興の時」の3番です。
不思議な曲だと思う。
素朴な民謡風・舞曲風と言えるかもしれない。
しかし、この独特な雰囲気は、いったい何なのだろう!?
夢の中で見た風景のような(?)、不思議な郷愁と儚さを感じます。
「即興曲」、D935-1。
これは、とにかく大好きな曲です。
曲の開始はドラマティック、
しかし0:40から、さっそくシューベルトらしい繊細美が炸裂。
そして1:52からの旋律は美しい!
ショパンやチャイコフスキーみたいに、叙情的に泣きまくるロマンティックなのも好きだけど、
このシューベルトのメロディーの雰囲気は、もっと控え目で、内省的なニュアンスだろうか?
それでいて、憧れや喜びも大いに感じられ、まるで、心が自由に羽ばたきたがっているような雰囲気で(?)、
慰められるような共感・安らぎも、(私は)感じます。
そして、3:03からが最高です!
長調と短調を微妙に移ろい続ける、深々とした独特の世界。
4:20から少し切迫するのだが、4:40で、夢想するような内省的なニュアンスに戻る。
私は、特に幼少の頃は、いつも、この曲のような感じの内面で日々を過ごしていた気がします、
小学生〜中学生くらいでシューベルトに出会い、私の心の中が、そのまんま音楽になっている気がして(笑)、
勝手ながら、強いシンパシーを感じました。
(救われた感じさえしました)。
ピアノ連弾曲、D947です。
こちらも、好きすぎる曲。
やはり、曲の開始はドラマティックです。
そして1:43からの雰囲気は、何とも言えず甘やかというか、安らぐというか。。。
で、しばらくその雰囲気を持続したまま、2:48〜3:40は、繊細な高音が美しい!
風景や情景に喩えるなら…、天気雨の時、空中の雨に光が反射して、キラキラ輝いているような感じか?(陳腐な喩えではあるが)。
とにかく最高です。
しかも、この部分は、「無音」よりも静かな感じさえします。
日本なら、「静けさや 岩に染み入る蝉の声」という言葉がありますが、
要は、「音があることによって、むしろ、無や静寂を感じるような感性」。
これも、シューベルトの真骨頂の一つ!
静寂や沈黙の美しさは、日本だけの専売特許ではないのだ、
国籍・性別・年齢などに関係なく、多くの人が持っている普遍的な感性ではないかと思う。
(今は指揮者として活躍されている、クリストフ・エッシェンバッハ氏の繊細美を極めた演奏も、素晴らしいと思います)。
「即興曲」、D899-1。
これも、D935-1と同じくらい好きな曲です。
冒頭、序章風の部分が長く、ようやく2:02から、流れるようなメロディーがはじまる。
その後、メロディーやコード進行が、自由自在に移ろう…、
とても自由なのだけれど、言い換えれば、「心が不安定」ということかもしれない。
(あるいは、「不安定なところで安定している」とも言える)。
実に繊細で、なおかつ、自由に広がるような歌心が素晴らしい。
3:27からの旋律は、ちょっとショパンっぽい、憧れるような甘さを感じさせるも…、
3:51から、またすぐに、ダークな繊細さを取り戻す。
不穏!
まったくシューベルトの作品は、「ああ、ようやく安定した」と思っても、数秒しかもたない(笑)。
この不安定な不穏さ・繊細さ・内気さ・儚さ・美しさが、わたくし、大好物なのだります。(「全ては移ろいゆく」という感覚や人生観も、曲の中に充満しているように思います)。
5:10からの情熱的な感じもグッド!(でも、言うまでもなく、すぐにナヨナヨする)
5:48からの雰囲気変化などにも、ハッとさせられます。
この動画は、「楽興の時」全6曲入りです。
ご興味あれば、聞いてみて下さい。
(※0:00からが1番、5:35からが2番、11:55からが3番、13:50からが4番、19:10からが5番、21:20からが6番)。
この記事の冒頭で、有名な3番を紹介させて頂きましたが、
2番や4番も名曲だし、繊細すぎて、不穏ですらあります。
一般的には、全6曲のうち、2番と3番が有名ですし、名曲とされています。
でも、穏やかで深々とした6番も人気が高く、「生涯の一曲」とする人も少なくないですね。(私の知り合いでも、数人います)。
6番のニュアンスは、確かに凄いです。
旋律プラス、和音(コード進行)の移り変わりに、浸るように聞いて欲しいですね。
あと個人的には、1番も凄いと思う。
冒頭、素朴で平凡なようで、それでいて、どこにも存在しない感じの希有なメロディー。
(普通、作曲家という人種は(?)、曲の開始から、自身の力量・才能・感性を表現しようと、大仰にドラマティックに開始してみたり、何かしらフックのある開始をすることが多いと思うのだが…、「楽興の時」1番は、まあ無欲というか、無心というか、空気のような始まり方だと思う。こんな力みの無い曲を、二十代半ばの若者が作曲したとは、なかなか信じられません。(作曲当時シューベルトは二十代)。シューベルトには、自己顕示欲とかギラギラした野心とか、持っていなかったのだろうか?)
二十代半ばでこんなメロディーを書くのなら、そりゃ、早死にするだろうな…、という印象すらあります。
ピントが、現実社会や人間社会から、ちょっとズレていますから。
(今風に言えば、「不思議ちゃん」だったのかもしれません)。
…いずれにせよ、冒頭のメロディーが、ある時は右手で奏でられたり、ある時は左手で奏でられたりして、自由に変奏・展開されるのだが、
自由すぎて、何となく心の方向性が定まらない感じ。
(「自由」ということは、「不安定」ということでもあるのかもしれない)。
で、1:29からのメロディーも、非常にシューベルトらしい感じ。
歌謡的で親しみやすい。
そして2:41からは、そのメロディーが短調で奏でられる。
これぞシューベルト!
「楽興の時」は、技術的には、どの曲も割と簡単に弾けるので、中学生頃、毎日のように弾いていました。
さて、シューベルトは31歳で亡くなっています、
短い生涯に1000曲ほど作曲しましたが、5分程度の歌ばかりでもなく、1時間くらいの演奏時間のオーケストラ曲・ミサ曲・ピアノ曲・歌曲集なども数多いです。
そういう長大な曲も、一つの作品としてカウントしても、トータル1000曲ほどなので、とてつもないスピードで作曲していたのだ。
曲調のニュアンス的にも、生きてるか死んでるか分からないような(?)、
現実世界に全く焦点が合ってなくて、幻想的で夢想的で内面的、
気分や情景が、常に不安定に移ろっている感じ…。
だいたいの作曲家は、曲を聞けば、人間らしい苦悩とか歓喜とか、喜びとか哀しみとか、性格とか人格とか、曲から感じることが出来る。
しかしシューベルトの場合は、なにか違う。
もちろんそういう要素も感じるのですが、
しかしながら、いまいちシューベルト自身の感情・主張は薄め。
「自我や感情を表現している」というより、「自我や感情が移り変わりゆく儚さ」を、表現しているような感じもする。
(説明が難しいのですが…、要は「自己」を表現しているというより、「自己の不在」「自己の不安定さ」を表現しているような感じ…、と言えば良いだろうか?)
…あるいは、「人間の心」を表現しているというより、もっと謎めいた正体不明のもの、、、
例えば、宇宙とか霊界とかから(?)音楽が降ってきたというか、
この世ならぬ世界と交信しているような雰囲気さえ感じます。
(※よく、「音楽というものは、作曲者や演奏者の心がそのまま出る。その人そのもの」というような意見もあるし、それはその通りだとは思いますが…、でも、それだけだと、ちょっと認識が狭い気もする。どう考えても、作者・奏者の人間性を超越してしまったような音世界や、作者・奏者が「無」になってしまったような音世界も、絶対に有ると思いますから)。
シューベルトの曲、全てが傑作だとは思わないが、この記事で紹介した作品は、かなり凄いのではないかと思う。
「歌曲王」と呼ばれていますが、あえて、器楽曲のみ取り上げました。
もちろん、歌曲も傑作が多いですが!
(私は歌曲では、「若い尼」(D828)と「夜の曲」(D672)が、最も感動した2曲です。どちらも奇跡的!もし機会があれば、ぜひ歌詞(対訳)を見ながら聞いて欲しいです)。
ちなみに、シューベルトのピアノ曲のような、異常に繊細な音楽の場合、
私は、あまりメリハリを付けず、テンポも揺らさず、繊細の音の移り変わりを淡々と味わうような演奏が好きです。
慎ましやかなシューベルトの繊細美を、感情的に仰々しく演奏されると、個人的には、かなり萎えますね。
ショパンやラフマニノフのようなピアノ曲の場合、ある程度、メリハリが重要だと思っています。(もちろん曲にもよりますが…)。
しかしシューベルトやモーツァルトの場合は、「過度に表現しすぎると陳腐になってしまう」という曲が多いような気がします。
当記事で紹介したピアノ作品や、あと「未完成交響曲」あたりも、この世ならぬ美しさです、
で、あまりにも「この世ならぬ」感じが強すぎるため、
演奏者が、自分の個性・感情を強く出して表現しすぎると、人間らしくて「この世っぽい」音楽になってしまう(笑)。
「曲が演奏者に隠れてしまう」と申しましょうか。。。
(曲の持つ息遣い・儚さ・霊妙さ・夢幻性が失われ、感情や自我だけの音楽になってしまう…。)
というわけで、シューベルトのピアノ曲を聞くなら、
あまり自分の個性・感情をぶつけるタイプのピアニストではなく、
音楽そのものの持つ微妙な機微・息遣い・霊妙さに、ちゃんと気づけるようなタイプのピアニストが好きですね。
私が好きなのは、何と言ってもクリストフ・エッシェンバッハさん!(彼の弾くシューベルトCDは、多分もう廃盤だけど)
エッシェンバッハ氏のモーツァルト演奏は、実は私はイマイチ苦手なのですが、シューベルトやベートーヴェンやバッハはとても好きですね。(あとツェルニーも好きです。笑)
その他だと、田部京子さん、アンドラーシュ・シフさん、ウィルヘルム・ケンプさん…、
そのあたりが、私がシューベルトを聞く時に、好んでチョイスするピアニスト。
エッシェンバッハは廃盤だと思うので、現状、シフさんや田部京子さんがオススメです。
上記のようなピアニストは、たまに「表現力が無い」と批判されることも多いです。
しかし、「表現力が無い」のではないと思う。
「表現しすぎない」という表現なのだ。
「ピアニスト自身が音楽を生み出す」というより、ピアニスト自身は気配やオーラを消して、音楽そのものの息遣いに耳を傾けるようなタイプだと思います。
料理だって、味が濃ければ必ず美味しいかと言われれば、そんなことは無いはず。
音楽も同じだと思うが、「味が濃い」=「音楽性・表現力・個性が豊か」、「味が薄い」=「音楽性・表現力・個性が乏しい」、
というわけではないと思うのだがなあ。
ちなみにシューベルト「即興曲」シリーズは、50人以上のピアニストのCDを聞き比べた思い出もありますが、他の作曲家に比べ、気に入る確率が低い…。
私自身、それだけ惹かれている、ということだと思いますが、
あるいは、演奏の際、「調理・味付けの塩梅が難しい作曲家」、ということでもあるのかもしれない。
さて最後に、個人活動なので恐縮なのだが、私の作曲のピアノソロ曲、下記サイトで聞けます。
https://soundcloud.com/shimpei-yamashita
シューベルトの影響も、やはり強いと思います。
もしよろしければ聞いてみて下さいませ。
自分としては、「森のささやき」「幼少のころ」「木漏れ日につつまれて」あたりがお気に入り。
毎度ですが、お時間とご興味のある方限定で、お楽しみ頂ければ幸いです。
本日の記事は、私が最も愛する作曲家と言っても良いシューベルトです。
さて、シューベルト作品の特色としては、
1.旋律の美しさ、親しみやすさ。
2.光と影が同居しているような(?)、明るいとも暗いとも言えない、独特な雰囲気。
3.圧倒的な繊細美。
そんなところだと、(私は)感じています。
まずは超有名曲、「楽興の時」の3番です。
不思議な曲だと思う。
素朴な民謡風・舞曲風と言えるかもしれない。
しかし、この独特な雰囲気は、いったい何なのだろう!?
夢の中で見た風景のような(?)、不思議な郷愁と儚さを感じます。
「即興曲」、D935-1。
これは、とにかく大好きな曲です。
曲の開始はドラマティック、
しかし0:40から、さっそくシューベルトらしい繊細美が炸裂。
そして1:52からの旋律は美しい!
ショパンやチャイコフスキーみたいに、叙情的に泣きまくるロマンティックなのも好きだけど、
このシューベルトのメロディーの雰囲気は、もっと控え目で、内省的なニュアンスだろうか?
それでいて、憧れや喜びも大いに感じられ、まるで、心が自由に羽ばたきたがっているような雰囲気で(?)、
慰められるような共感・安らぎも、(私は)感じます。
そして、3:03からが最高です!
長調と短調を微妙に移ろい続ける、深々とした独特の世界。
4:20から少し切迫するのだが、4:40で、夢想するような内省的なニュアンスに戻る。
私は、特に幼少の頃は、いつも、この曲のような感じの内面で日々を過ごしていた気がします、
小学生〜中学生くらいでシューベルトに出会い、私の心の中が、そのまんま音楽になっている気がして(笑)、
勝手ながら、強いシンパシーを感じました。
(救われた感じさえしました)。
ピアノ連弾曲、D947です。
こちらも、好きすぎる曲。
やはり、曲の開始はドラマティックです。
そして1:43からの雰囲気は、何とも言えず甘やかというか、安らぐというか。。。
で、しばらくその雰囲気を持続したまま、2:48〜3:40は、繊細な高音が美しい!
風景や情景に喩えるなら…、天気雨の時、空中の雨に光が反射して、キラキラ輝いているような感じか?(陳腐な喩えではあるが)。
とにかく最高です。
しかも、この部分は、「無音」よりも静かな感じさえします。
日本なら、「静けさや 岩に染み入る蝉の声」という言葉がありますが、
要は、「音があることによって、むしろ、無や静寂を感じるような感性」。
これも、シューベルトの真骨頂の一つ!
静寂や沈黙の美しさは、日本だけの専売特許ではないのだ、
国籍・性別・年齢などに関係なく、多くの人が持っている普遍的な感性ではないかと思う。
(今は指揮者として活躍されている、クリストフ・エッシェンバッハ氏の繊細美を極めた演奏も、素晴らしいと思います)。
「即興曲」、D899-1。
これも、D935-1と同じくらい好きな曲です。
冒頭、序章風の部分が長く、ようやく2:02から、流れるようなメロディーがはじまる。
その後、メロディーやコード進行が、自由自在に移ろう…、
とても自由なのだけれど、言い換えれば、「心が不安定」ということかもしれない。
(あるいは、「不安定なところで安定している」とも言える)。
実に繊細で、なおかつ、自由に広がるような歌心が素晴らしい。
3:27からの旋律は、ちょっとショパンっぽい、憧れるような甘さを感じさせるも…、
3:51から、またすぐに、ダークな繊細さを取り戻す。
不穏!
まったくシューベルトの作品は、「ああ、ようやく安定した」と思っても、数秒しかもたない(笑)。
この不安定な不穏さ・繊細さ・内気さ・儚さ・美しさが、わたくし、大好物なのだります。(「全ては移ろいゆく」という感覚や人生観も、曲の中に充満しているように思います)。
5:10からの情熱的な感じもグッド!(でも、言うまでもなく、すぐにナヨナヨする)
5:48からの雰囲気変化などにも、ハッとさせられます。
この動画は、「楽興の時」全6曲入りです。
ご興味あれば、聞いてみて下さい。
(※0:00からが1番、5:35からが2番、11:55からが3番、13:50からが4番、19:10からが5番、21:20からが6番)。
この記事の冒頭で、有名な3番を紹介させて頂きましたが、
2番や4番も名曲だし、繊細すぎて、不穏ですらあります。
一般的には、全6曲のうち、2番と3番が有名ですし、名曲とされています。
でも、穏やかで深々とした6番も人気が高く、「生涯の一曲」とする人も少なくないですね。(私の知り合いでも、数人います)。
6番のニュアンスは、確かに凄いです。
旋律プラス、和音(コード進行)の移り変わりに、浸るように聞いて欲しいですね。
あと個人的には、1番も凄いと思う。
冒頭、素朴で平凡なようで、それでいて、どこにも存在しない感じの希有なメロディー。
(普通、作曲家という人種は(?)、曲の開始から、自身の力量・才能・感性を表現しようと、大仰にドラマティックに開始してみたり、何かしらフックのある開始をすることが多いと思うのだが…、「楽興の時」1番は、まあ無欲というか、無心というか、空気のような始まり方だと思う。こんな力みの無い曲を、二十代半ばの若者が作曲したとは、なかなか信じられません。(作曲当時シューベルトは二十代)。シューベルトには、自己顕示欲とかギラギラした野心とか、持っていなかったのだろうか?)
二十代半ばでこんなメロディーを書くのなら、そりゃ、早死にするだろうな…、という印象すらあります。
ピントが、現実社会や人間社会から、ちょっとズレていますから。
(今風に言えば、「不思議ちゃん」だったのかもしれません)。
…いずれにせよ、冒頭のメロディーが、ある時は右手で奏でられたり、ある時は左手で奏でられたりして、自由に変奏・展開されるのだが、
自由すぎて、何となく心の方向性が定まらない感じ。
(「自由」ということは、「不安定」ということでもあるのかもしれない)。
で、1:29からのメロディーも、非常にシューベルトらしい感じ。
歌謡的で親しみやすい。
そして2:41からは、そのメロディーが短調で奏でられる。
これぞシューベルト!
「楽興の時」は、技術的には、どの曲も割と簡単に弾けるので、中学生頃、毎日のように弾いていました。
さて、シューベルトは31歳で亡くなっています、
短い生涯に1000曲ほど作曲しましたが、5分程度の歌ばかりでもなく、1時間くらいの演奏時間のオーケストラ曲・ミサ曲・ピアノ曲・歌曲集なども数多いです。
そういう長大な曲も、一つの作品としてカウントしても、トータル1000曲ほどなので、とてつもないスピードで作曲していたのだ。
曲調のニュアンス的にも、生きてるか死んでるか分からないような(?)、
現実世界に全く焦点が合ってなくて、幻想的で夢想的で内面的、
気分や情景が、常に不安定に移ろっている感じ…。
だいたいの作曲家は、曲を聞けば、人間らしい苦悩とか歓喜とか、喜びとか哀しみとか、性格とか人格とか、曲から感じることが出来る。
しかしシューベルトの場合は、なにか違う。
もちろんそういう要素も感じるのですが、
しかしながら、いまいちシューベルト自身の感情・主張は薄め。
「自我や感情を表現している」というより、「自我や感情が移り変わりゆく儚さ」を、表現しているような感じもする。
(説明が難しいのですが…、要は「自己」を表現しているというより、「自己の不在」「自己の不安定さ」を表現しているような感じ…、と言えば良いだろうか?)
…あるいは、「人間の心」を表現しているというより、もっと謎めいた正体不明のもの、、、
例えば、宇宙とか霊界とかから(?)音楽が降ってきたというか、
この世ならぬ世界と交信しているような雰囲気さえ感じます。
(※よく、「音楽というものは、作曲者や演奏者の心がそのまま出る。その人そのもの」というような意見もあるし、それはその通りだとは思いますが…、でも、それだけだと、ちょっと認識が狭い気もする。どう考えても、作者・奏者の人間性を超越してしまったような音世界や、作者・奏者が「無」になってしまったような音世界も、絶対に有ると思いますから)。
シューベルトの曲、全てが傑作だとは思わないが、この記事で紹介した作品は、かなり凄いのではないかと思う。
「歌曲王」と呼ばれていますが、あえて、器楽曲のみ取り上げました。
もちろん、歌曲も傑作が多いですが!
(私は歌曲では、「若い尼」(D828)と「夜の曲」(D672)が、最も感動した2曲です。どちらも奇跡的!もし機会があれば、ぜひ歌詞(対訳)を見ながら聞いて欲しいです)。
ちなみに、シューベルトのピアノ曲のような、異常に繊細な音楽の場合、
私は、あまりメリハリを付けず、テンポも揺らさず、繊細の音の移り変わりを淡々と味わうような演奏が好きです。
慎ましやかなシューベルトの繊細美を、感情的に仰々しく演奏されると、個人的には、かなり萎えますね。
ショパンやラフマニノフのようなピアノ曲の場合、ある程度、メリハリが重要だと思っています。(もちろん曲にもよりますが…)。
しかしシューベルトやモーツァルトの場合は、「過度に表現しすぎると陳腐になってしまう」という曲が多いような気がします。
当記事で紹介したピアノ作品や、あと「未完成交響曲」あたりも、この世ならぬ美しさです、
で、あまりにも「この世ならぬ」感じが強すぎるため、
演奏者が、自分の個性・感情を強く出して表現しすぎると、人間らしくて「この世っぽい」音楽になってしまう(笑)。
「曲が演奏者に隠れてしまう」と申しましょうか。。。
(曲の持つ息遣い・儚さ・霊妙さ・夢幻性が失われ、感情や自我だけの音楽になってしまう…。)
というわけで、シューベルトのピアノ曲を聞くなら、
あまり自分の個性・感情をぶつけるタイプのピアニストではなく、
音楽そのものの持つ微妙な機微・息遣い・霊妙さに、ちゃんと気づけるようなタイプのピアニストが好きですね。
私が好きなのは、何と言ってもクリストフ・エッシェンバッハさん!(彼の弾くシューベルトCDは、多分もう廃盤だけど)
エッシェンバッハ氏のモーツァルト演奏は、実は私はイマイチ苦手なのですが、シューベルトやベートーヴェンやバッハはとても好きですね。(あとツェルニーも好きです。笑)
その他だと、田部京子さん、アンドラーシュ・シフさん、ウィルヘルム・ケンプさん…、
そのあたりが、私がシューベルトを聞く時に、好んでチョイスするピアニスト。
エッシェンバッハは廃盤だと思うので、現状、シフさんや田部京子さんがオススメです。
上記のようなピアニストは、たまに「表現力が無い」と批判されることも多いです。
しかし、「表現力が無い」のではないと思う。
「表現しすぎない」という表現なのだ。
「ピアニスト自身が音楽を生み出す」というより、ピアニスト自身は気配やオーラを消して、音楽そのものの息遣いに耳を傾けるようなタイプだと思います。
料理だって、味が濃ければ必ず美味しいかと言われれば、そんなことは無いはず。
音楽も同じだと思うが、「味が濃い」=「音楽性・表現力・個性が豊か」、「味が薄い」=「音楽性・表現力・個性が乏しい」、
というわけではないと思うのだがなあ。
ちなみにシューベルト「即興曲」シリーズは、50人以上のピアニストのCDを聞き比べた思い出もありますが、他の作曲家に比べ、気に入る確率が低い…。
私自身、それだけ惹かれている、ということだと思いますが、
あるいは、演奏の際、「調理・味付けの塩梅が難しい作曲家」、ということでもあるのかもしれない。
さて最後に、個人活動なので恐縮なのだが、私の作曲のピアノソロ曲、下記サイトで聞けます。
https://soundcloud.com/shimpei-yamashita
シューベルトの影響も、やはり強いと思います。
もしよろしければ聞いてみて下さいませ。
自分としては、「森のささやき」「幼少のころ」「木漏れ日につつまれて」あたりがお気に入り。
- -
- -
- -
広瀬すずさん
- 2016.05.19 Thursday
- 12:22
先日、野球中継を見ていて。
ヤクルト・バレンティン選手が、もしかしたら広瀬すずさんに似ているかもしれないということに気づき、動揺を隠せない山下です。
見間違いか勘違いであることを祈るばかりだ。。。
(※いつも似ているわけではなく。打席でバット構えている時の顔が、けっこう似ているように感じた)。
今後、広瀬すずさんを見た時に、バレンティンの顔が必ず脳裏によぎってしまうようになるのだけは、何としても避けなければ。
ヤクルト・バレンティン選手が、もしかしたら広瀬すずさんに似ているかもしれないということに気づき、動揺を隠せない山下です。
見間違いか勘違いであることを祈るばかりだ。。。
(※いつも似ているわけではなく。打席でバット構えている時の顔が、けっこう似ているように感じた)。
今後、広瀬すずさんを見た時に、バレンティンの顔が必ず脳裏によぎってしまうようになるのだけは、何としても避けなければ。
- -
- -
- -
あるでん亭
- 2016.05.09 Monday
- 12:12
「あるでん亭」(新宿)のカルボナーラ。
名店と名高いパスタ屋。
はじめていただきましたが、驚愕するほど美味でした!
概念が変わったー。
(クリームを使わない、本場の味らしい)。
ところが私はベーコンを食すタイミングを、しくじったと思う!
ベーコンの味が濃いので、ベーコンを食した後、麺を深く味わえなくなってしまったのだ。
序盤はベーコンを食さず、純粋に麺の風味・食感のみを味わうべきであった。
たとえば蕎麦なども、最初は、あえて何も付けずに蕎麦だけを味わい、後半、薬味を加えて味の変化を楽しんだりもしますが、
このカルボナーラのベーコンも、かなり味が濃いので、そういう役割のような気がしてならなかったのだ。。。
痛恨の戦略ミス。継投ミス。
この点を猛省し、次回に活かしたいと思うッ!
次回は、最初の三分の一、麺のみ食す。中間の三分の一、ベーコンも。最後の三分の一、粉チーズも投入。
そういうイメージでいきたいと思う。
- -
- -
- -