ドッペルゲンガーなど
- 2014.12.20 Saturday
- 17:44
こんばんは。
弟、山下TOPO洋平の新作動画を見ているシュウマツ…。
よろしければ、Watch!!
ラストに注目。
すわっドッペルゲンガー!?
…ドッペルゲンガーと言えば、
シューベルト歌曲集「白鳥の歌」の中に、まさに、「ドッペルゲンガー」という歌があったな。(よく「影法師」と訳される曲です)。
メロディアス系ではないが、独特の雰囲気と、音楽と歌詞の一体感が素晴らしい傑作であった。
何気に歌曲集「白鳥の歌」は、好きな曲たくさんあります、
私は、有名な「セレナーデ」以外のほうが、むしろ好きな歌が多い。
まず1曲目の「愛の使い」が最高だし、
「漁師の娘」や「鳩の便り」も素朴で楽しげ、屈託が無い。
「すみか」は、重厚なバリトンの声で聞いたら最高だ、(ヘルマン・プライとか。プライの歌声は、曲によっては苦手なんですが、「すみか」みたいな歌にはピッタリだ)、
「春の憧れ」や「別れ」は、フィッシャー・ディースカウのキレのあるドイツ語で聞きたい、
リズム感が鋭すぎて、見事すぎて、逆に笑えてくるものだ。
そして、「彼女の肖像」や「ドッペルゲンガー(影法師)」!
どちらも歌詞を見ながら聞くことが必須なのだが、深くて素晴らしい歌だ、
機会があったら聞いてみて下さい。
「愛の使い」(フィッシャー・ディースカウ)
歌曲集「白鳥の歌」の、第1曲目です。
名曲だし、名演だと思う。
「すみか」(ヘルマン・プライ)
プライ氏の、岩のような顔、岩のような歌声。
髪型まで、岩に見えてくる。
こんな重厚な声が出せたら、楽しいだろうなー。
…かと思うと、終わりあたりの高音の抜き方とか、抜群に上手いので、やはり、ただ声が立派なだけではない。
あと、ところどころ、あえてリズム感を悪く歌うことで生じる、無骨で実直な感じ。そこも素晴らしい。
「若い尼」(エディス・ウィーンズ)
「白鳥の歌」ではないけど。
シューベルトの歌曲で、私が最も好きな曲の一つ、「若い尼」。
音楽的に素晴らしいし、とにかく歌詞との一体感が素晴らしい!ほんと、奇跡的!
高校の頃、この曲を聞いて号泣した。
ご興味ある方は、「若い尼 歌詞」とか「若い尼 対訳」とか検索して、ぜひ歌詞(対訳)を見ながら聞いてみて下さい。
詩と音楽の、究極のコラボレーション!
「魔王」(フィッシャー・ディースカウ)
有名な「魔王」。
若いフィッシャー・ディースカウの歌唱、素晴らしすぎ!
魔王のセリフの部分が妖しくて、安らぎや色気さえ感じます。
シューベルトも超絶に凄いが、ディースカウも凄い!
この曲も、ご興味ある方は、ぜひ歌詞対訳を見ながらお聞き下さい。
魔王に襲われる父と子の曲です。
クラシックは、当然、歌詞が先にあって、後から曲を作曲するのだが、それでこのクオリティー!
31年の生涯で、1000曲ほどの作曲をしたシューベルト…、
ちょっと異次元の凄さというか、曲のニュアンス的にも、人間離れしてる曲が多い。
それでいて親しみやすいから、実に不思議なのだが。
シューベルトの歌曲では、私は「若い尼」の他は、「夜の曲(D672)」、「万霊節のための連禱」、「さすらい人」、「ズライカ」、「アヴェマリア」、「冬の旅」、「美しき水車小屋の娘」あたりが、特に好きですね。
(「夜の曲(D672)」は、特に大好きな曲です。やはり、詩と音楽の結びつきが究極的に素晴らしい作品だと思います。死ぬ間際の老人が主人公で、森の奥で孤独に死んでゆく歌なのですが…、渋くて深いうえに、軽やかで親しみやすく、しかも荘厳かつ神秘的な雰囲気も漂うという(?)、凄まじい作品だと思います。森と老人の対話が素晴らしい)。
シューベルト歌曲で、分かりやすいオススメとしては、「美しき水車小屋の娘」です。
全20曲からなる歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、とても親しみやすくて明るいけど、
やはり最後の3曲あたりは、恐ろしいほど魂の深淵と申しましょうか…、ものすごい深い世界だと思う。しかも、究極的に美しいメロディーだし。
そんなわけで「水車小屋…」は、シューベルト初心者にもオススメですね。(テノールの、ヴンダーリッヒ盤CDをオススメします)。
そして、土曜ですのでアルケミークリスタルのブログを更新しました、
今回は、お気に入りのアイルランド民謡について。
http://ameblo.jp/alchemy-crystal/entry-11966923193.html
よろしければ、Check!
弟、山下TOPO洋平の新作動画を見ているシュウマツ…。
よろしければ、Watch!!
ラストに注目。
すわっドッペルゲンガー!?
…ドッペルゲンガーと言えば、
シューベルト歌曲集「白鳥の歌」の中に、まさに、「ドッペルゲンガー」という歌があったな。(よく「影法師」と訳される曲です)。
メロディアス系ではないが、独特の雰囲気と、音楽と歌詞の一体感が素晴らしい傑作であった。
何気に歌曲集「白鳥の歌」は、好きな曲たくさんあります、
私は、有名な「セレナーデ」以外のほうが、むしろ好きな歌が多い。
まず1曲目の「愛の使い」が最高だし、
「漁師の娘」や「鳩の便り」も素朴で楽しげ、屈託が無い。
「すみか」は、重厚なバリトンの声で聞いたら最高だ、(ヘルマン・プライとか。プライの歌声は、曲によっては苦手なんですが、「すみか」みたいな歌にはピッタリだ)、
「春の憧れ」や「別れ」は、フィッシャー・ディースカウのキレのあるドイツ語で聞きたい、
リズム感が鋭すぎて、見事すぎて、逆に笑えてくるものだ。
そして、「彼女の肖像」や「ドッペルゲンガー(影法師)」!
どちらも歌詞を見ながら聞くことが必須なのだが、深くて素晴らしい歌だ、
機会があったら聞いてみて下さい。
「愛の使い」(フィッシャー・ディースカウ)
歌曲集「白鳥の歌」の、第1曲目です。
名曲だし、名演だと思う。
「すみか」(ヘルマン・プライ)
プライ氏の、岩のような顔、岩のような歌声。
髪型まで、岩に見えてくる。
こんな重厚な声が出せたら、楽しいだろうなー。
…かと思うと、終わりあたりの高音の抜き方とか、抜群に上手いので、やはり、ただ声が立派なだけではない。
あと、ところどころ、あえてリズム感を悪く歌うことで生じる、無骨で実直な感じ。そこも素晴らしい。
「若い尼」(エディス・ウィーンズ)
「白鳥の歌」ではないけど。
シューベルトの歌曲で、私が最も好きな曲の一つ、「若い尼」。
音楽的に素晴らしいし、とにかく歌詞との一体感が素晴らしい!ほんと、奇跡的!
高校の頃、この曲を聞いて号泣した。
ご興味ある方は、「若い尼 歌詞」とか「若い尼 対訳」とか検索して、ぜひ歌詞(対訳)を見ながら聞いてみて下さい。
詩と音楽の、究極のコラボレーション!
「魔王」(フィッシャー・ディースカウ)
有名な「魔王」。
若いフィッシャー・ディースカウの歌唱、素晴らしすぎ!
魔王のセリフの部分が妖しくて、安らぎや色気さえ感じます。
シューベルトも超絶に凄いが、ディースカウも凄い!
この曲も、ご興味ある方は、ぜひ歌詞対訳を見ながらお聞き下さい。
魔王に襲われる父と子の曲です。
クラシックは、当然、歌詞が先にあって、後から曲を作曲するのだが、それでこのクオリティー!
31年の生涯で、1000曲ほどの作曲をしたシューベルト…、
ちょっと異次元の凄さというか、曲のニュアンス的にも、人間離れしてる曲が多い。
それでいて親しみやすいから、実に不思議なのだが。
シューベルトの歌曲では、私は「若い尼」の他は、「夜の曲(D672)」、「万霊節のための連禱」、「さすらい人」、「ズライカ」、「アヴェマリア」、「冬の旅」、「美しき水車小屋の娘」あたりが、特に好きですね。
(「夜の曲(D672)」は、特に大好きな曲です。やはり、詩と音楽の結びつきが究極的に素晴らしい作品だと思います。死ぬ間際の老人が主人公で、森の奥で孤独に死んでゆく歌なのですが…、渋くて深いうえに、軽やかで親しみやすく、しかも荘厳かつ神秘的な雰囲気も漂うという(?)、凄まじい作品だと思います。森と老人の対話が素晴らしい)。
シューベルト歌曲で、分かりやすいオススメとしては、「美しき水車小屋の娘」です。
全20曲からなる歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、とても親しみやすくて明るいけど、
やはり最後の3曲あたりは、恐ろしいほど魂の深淵と申しましょうか…、ものすごい深い世界だと思う。しかも、究極的に美しいメロディーだし。
そんなわけで「水車小屋…」は、シューベルト初心者にもオススメですね。(テノールの、ヴンダーリッヒ盤CDをオススメします)。
そして、土曜ですのでアルケミークリスタルのブログを更新しました、
今回は、お気に入りのアイルランド民謡について。
http://ameblo.jp/alchemy-crystal/entry-11966923193.html
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2014.12.5
- 2014.12.05 Friday
- 16:04
こんにちは。
毎年10月〜11月は、合唱カンケイの本番・演奏会が多し。
で、12月になると、それらの演奏の記録(音源)をいただいたり、
練習前に、本番の音源・映像を皆で鑑賞したりすることも多いです。
関わらせて頂いているどの合唱団も、テクニック的な課題とかはあるかもしれないが、
ちゃんと誠実な演奏が出来ているな、と思いました。
どの合唱団も、
■ 一つ一つの細かいフレーズの、流れや呼吸を丁寧に合わせようとする心、
■ 曲全体の、大きな流れ・雰囲気・テーマを共有しようとする心、
それが、どちらも両立できているのではないかな、と思う。
部分部分に拘りすぎて、「木を見て森を見ず」状態にはなっていないし、
かと言って、大きな世界観や雰囲気ばかり大切にしすぎて、細かい技術やアンサンブルが疎かになってもいない。
どの合唱団も、「超絶に上手い!」とか、「凄い迫力ある声量!」というような演奏とは言えないかもしれないが、
誠実で心地良い演奏だなあ、と思った。
一つ本番が終われば、また新曲を練習していくことになるが、
その練習過程は、決して音を覚えるだけの機械的な作業ではなく、
詩と音楽に取り組むことで、メンバー一人一人が、自身の心や体を見つめたり、他者と心や呼吸を合わせようと感性を研ぎすませる…、
本番のみならず、練習の毎瞬毎瞬が発見であり、創造のような気がします。
そんなわけで練習は、気楽な遊び・楽しみであり、シンプルに「声を出す」ことを楽しむ場でありつつ…、
しかも同時に、取り組む「歌」を通して、深く人生を振り返ったり、新たな価値観に気付くようなチャンスさえあるのだ。(と、私は思う)。
それだけに、指導も選曲も責任重大ですが、それぞれの合唱団にフィットする曲を選ばんと、足しげくヤマハに通い、合唱楽譜コーナーで立ち読みする師走の日々…。
まあYoutubeなども使用しますがね。
新曲の選曲、もうしばらくお待ち下さい。(←業務連絡?)
毎年10月〜11月は、合唱カンケイの本番・演奏会が多し。
で、12月になると、それらの演奏の記録(音源)をいただいたり、
練習前に、本番の音源・映像を皆で鑑賞したりすることも多いです。
関わらせて頂いているどの合唱団も、テクニック的な課題とかはあるかもしれないが、
ちゃんと誠実な演奏が出来ているな、と思いました。
どの合唱団も、
■ 一つ一つの細かいフレーズの、流れや呼吸を丁寧に合わせようとする心、
■ 曲全体の、大きな流れ・雰囲気・テーマを共有しようとする心、
それが、どちらも両立できているのではないかな、と思う。
部分部分に拘りすぎて、「木を見て森を見ず」状態にはなっていないし、
かと言って、大きな世界観や雰囲気ばかり大切にしすぎて、細かい技術やアンサンブルが疎かになってもいない。
どの合唱団も、「超絶に上手い!」とか、「凄い迫力ある声量!」というような演奏とは言えないかもしれないが、
誠実で心地良い演奏だなあ、と思った。
一つ本番が終われば、また新曲を練習していくことになるが、
その練習過程は、決して音を覚えるだけの機械的な作業ではなく、
詩と音楽に取り組むことで、メンバー一人一人が、自身の心や体を見つめたり、他者と心や呼吸を合わせようと感性を研ぎすませる…、
本番のみならず、練習の毎瞬毎瞬が発見であり、創造のような気がします。
そんなわけで練習は、気楽な遊び・楽しみであり、シンプルに「声を出す」ことを楽しむ場でありつつ…、
しかも同時に、取り組む「歌」を通して、深く人生を振り返ったり、新たな価値観に気付くようなチャンスさえあるのだ。(と、私は思う)。
それだけに、指導も選曲も責任重大ですが、それぞれの合唱団にフィットする曲を選ばんと、足しげくヤマハに通い、合唱楽譜コーナーで立ち読みする師走の日々…。
まあYoutubeなども使用しますがね。
新曲の選曲、もうしばらくお待ち下さい。(←業務連絡?)
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