2013.10.12
- 2013.10.13 Sunday
- 01:00
(ヒカリ…。)
今日、道を歩きながら、iPodで“WHITE ASH”のアルバムを聴いていた。
ずっと高い建物に囲まれた道を歩いていて、空が全く見えなかったのだが、
曲がり角を曲がった瞬間、いきなり視界が開け、雄大に広がる空!(写真です)。
雲間からは、“天使の梯子”!
折しも、聞いていたWHITE ASHが、ちょうど解放感に満ちたメロディーに差し掛かり(笑)、かなり感動しました。タイミングよすぎ。
(「光」と「音楽」が、リンクした感じでした。曲がり角を曲がり、パァァ〜ッと視界が開けた瞬間…、ちょうど救われるようなメロディーが奏でられ、泣きそうになりました)。
いや〜、しかし、WHITE ASH素晴らしい。
私は、『Crowds』という曲を聞き、ゾクゾクして大好きになったのだが。
曲が良いし、なんせヴォーカルが超絶カッコイイ!
中性的で妖しくて、実に素晴らしいヴォーカル。
(音数は少な目で、それぞれの楽器の存在感とヴォーカルの唯一無二な存在感が、ビシバシ炸裂してる感じのロックバンドです。今なら、動画サイトや彼らの公式サイトで、『Crowds』のPV見れると思うので、ご興味ある方は是非。かなりヤバイ歌声だな…。)
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2013.10.5(8)
- 2013.10.06 Sunday
- 01:16
(これがッ!ダルバート定食ッ!)
一つ前の記事の続きです。
ネパール料理のお店にて。
ダル(豆)スープ、野菜カレー、チキンカレーの定食である。
実に、優しい素朴な味で御座いました。
ネパール人らしき店員さんの接客も、実に控え目で親密なオ・モ・テ・ナ・シ。(「シ」は無声音)。
ちなみにお店の場所は、オ・モ・テ・サ・ン・ド・ウ。(「サ」は無声音)。
嘘です。
本当は、コ・マ・ゴ・メ…。(全部無声音)。
ダル(豆)スープ、野菜カレー、チキンカレーの定食である。
実に、優しい素朴な味で御座いました。
ネパール人らしき店員さんの接客も、実に控え目で親密なオ・モ・テ・ナ・シ。(「シ」は無声音)。
ちなみにお店の場所は、オ・モ・テ・サ・ン・ド・ウ。(「サ」は無声音)。
嘘です。
本当は、コ・マ・ゴ・メ…。(全部無声音)。
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2013.10.5(7)
- 2013.10.06 Sunday
- 01:15
(眼力!)
街中を歩いていて、こんな妖しい瞳を見かけたら、フラフラと足が吸い込まれざるを得ない。
ま、ネパールのシンボルですな。
(私、ネパールを一人旅したことあるけど、カトマンドゥ近郊の“バクタプル”という街、素敵だったなぁ…。)
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2013.10.5(6)
- 2013.10.06 Sunday
- 01:14
最近は合唱指導仕事が連発し、喉が荒れてきました。
(歌いすぎというよりは、大勢の前でしゃべり続けるのがキツい)。
それゆえ、今日はコンビニで、のど飴を買いました。
いやぁ〜、喉がスッキリしました。
それで、今さっき、即興で、のど飴をテーマに歌詞を書きましたょ。
ワンコーラスのみです。
しょーもない。
タイトルからして某人気マンガのパクリぽいし、中也その他、全てのフレーズが何かに相似している。
ま、よろしければ、ご覧アレー。
〜『のど飴カンタービレ』〜
独りぼっちの帰り道 喉が鳴りますカキガラと ケプコンと咳き込む
重い足取り 月も星も探せないや ねえ あの頃の夢の未来に 僕は今いますか?
こんなはずじゃないはずさ コンビニ 握りしめるコイン レジに向かって駆け出す
なめよう!のど飴!突き抜ける空のように爽快さ!スーハー スーハー(ブレスSound)
なめよう!のど飴!吹き抜ける風のように It's cool!ピープー ピープー(風Sound)
なめすぎ 舌がダコダコんなって血が出ても いんじゃない?カリン果汁10パーセント増量 in the night!
それゆえ、今日はコンビニで、のど飴を買いました。
いやぁ〜、喉がスッキリしました。
それで、今さっき、即興で、のど飴をテーマに歌詞を書きましたょ。
ワンコーラスのみです。
しょーもない。
タイトルからして某人気マンガのパクリぽいし、中也その他、全てのフレーズが何かに相似している。
ま、よろしければ、ご覧アレー。
〜『のど飴カンタービレ』〜
独りぼっちの帰り道 喉が鳴りますカキガラと ケプコンと咳き込む
重い足取り 月も星も探せないや ねえ あの頃の夢の未来に 僕は今いますか?
こんなはずじゃないはずさ コンビニ 握りしめるコイン レジに向かって駆け出す
なめよう!のど飴!突き抜ける空のように爽快さ!スーハー スーハー(ブレスSound)
なめよう!のど飴!吹き抜ける風のように It's cool!ピープー ピープー(風Sound)
なめすぎ 舌がダコダコんなって血が出ても いんじゃない?カリン果汁10パーセント増量 in the night!
さあ 新しいnew tomorrowへ sparking!(sparking!sparking!sparking!)
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2013.10.5(5)
- 2013.10.06 Sunday
- 01:13
お茶漬けのコマーシャル(弟が来るやつ)、前田敦子さんが素敵すぎて、生きるのがつらい…。だがそんなことにも負けず、今日も作曲・DTMの勉強イソシム。
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2013.10.5(3)
- 2013.10.06 Sunday
- 01:11
『SUPER∞STREAM』が好きすぎて、生きるのがつらい…。
ぶっ飛ぶほど爽快かつ美しいメロディー!(コードも)
歌詞の表現の突き抜け方・ズバ抜け方!
アレンジも、吹っ飛ぶほど風ぽい!
全てが、パーフェクトに私好み。
爽快かつ、泣ける感じ。
ナムド聴いても感動するょ。(;´д`)
何だかんだ言って、あらゆる音楽作品の中で、これほど好きな曲は、そう沢山は無いです。(同じくらい猛烈に好きな曲、ジャンル問わず、6〜70曲くらいは有るかもしれないが…、100曲は無いと思う)。
間違いなく、あらゆる音楽作品の中で、最も好きな曲のヒトツダ。
ぶっ飛ぶほど爽快かつ美しいメロディー!(コードも)
歌詞の表現の突き抜け方・ズバ抜け方!
アレンジも、吹っ飛ぶほど風ぽい!
全てが、パーフェクトに私好み。
爽快かつ、泣ける感じ。
ナムド聴いても感動するょ。(;´д`)
何だかんだ言って、あらゆる音楽作品の中で、これほど好きな曲は、そう沢山は無いです。(同じくらい猛烈に好きな曲、ジャンル問わず、6〜70曲くらいは有るかもしれないが…、100曲は無いと思う)。
間違いなく、あらゆる音楽作品の中で、最も好きな曲のヒトツダ。
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2013.10.5(2)
- 2013.10.06 Sunday
- 01:10
高校の時、生徒の名前を、やに読めない先生がいたなぁ…。(出席とる際に、生徒の名字が読めない。確か、化学か物理の先生だったと思う)。(やに色は白くはなかった)。
例えば、出席をとる時、「山中」というクラスメートを、自信なさげに、「えーと、さん…、さん…、やまなか君?かな?」と、かなり迷ったり、
あと、「浜村」というクラスメートを、「えーと、えーと…、ハマソン君?かな?」と読んだり。
「大村」というクラスメートを、「ダイソン君?」と、「三村」というクラスメートを、「サムソン君?」と、「下村」というクラスメートを、「アンダーソン君?」と、「志村」というクラスメートを、「ウィルソン君?」と、呼んだりしていた。
…まあ、「山中」以外は、全て嘘だけど。(さすがに)。
でも、「山中」は本当だし、その他、「村田」を「たむら」、「水戸」を「みずと」、「小島」を「こしま」、「守谷」を「もりたに」…、あと、なぜか「辻」を、「じん君」と呼んだりしていた。
今思えば、海外育ちの先生だったのかもしれぬ。
オリジナリティーが有って、好きでした。
あと、別の先生で、出席をとる時、凄まじく声が裏返ってしまった男の先生がいて、私は大爆笑したのだが、
今現在、私自身、合唱団を指導する際、だいたい毎回だいたい声が裏返るので、生きるのがつらい…。
合唱団メムバー達に向かって見本を歌うと、十中八九、だいたい声が毎回だいたいケロッと裏返るので、生きるのがつらい…。
例えば、出席をとる時、「山中」というクラスメートを、自信なさげに、「えーと、さん…、さん…、やまなか君?かな?」と、かなり迷ったり、
あと、「浜村」というクラスメートを、「えーと、えーと…、ハマソン君?かな?」と読んだり。
「大村」というクラスメートを、「ダイソン君?」と、「三村」というクラスメートを、「サムソン君?」と、「下村」というクラスメートを、「アンダーソン君?」と、「志村」というクラスメートを、「ウィルソン君?」と、呼んだりしていた。
…まあ、「山中」以外は、全て嘘だけど。(さすがに)。
でも、「山中」は本当だし、その他、「村田」を「たむら」、「水戸」を「みずと」、「小島」を「こしま」、「守谷」を「もりたに」…、あと、なぜか「辻」を、「じん君」と呼んだりしていた。
今思えば、海外育ちの先生だったのかもしれぬ。
オリジナリティーが有って、好きでした。
あと、別の先生で、出席をとる時、凄まじく声が裏返ってしまった男の先生がいて、私は大爆笑したのだが、
今現在、私自身、合唱団を指導する際、だいたい毎回だいたい声が裏返るので、生きるのがつらい…。
合唱団メムバー達に向かって見本を歌うと、十中八九、だいたい声が毎回だいたいケロッと裏返るので、生きるのがつらい…。
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2013.10.5(1)
- 2013.10.06 Sunday
- 01:09
「愛」という感情(?)は、よく、「恋」とは別物だと言われる。
その通りだと思うし、さらに言えば、私は「愛」と「好き嫌い」も、別のものだと感じている。
「愛」という感情は、特定の個人にというより、だいたい全ての存在に、だいたい沸き上がる感じもします。
(嫌いな人などに対しても、不思議と沸き起こる。嫌いな音楽作品などに対しても、だいたい不思議と沸き起こる。…むしろ、嫌いな人や嫌いな作品に対してこそ沸き起こる、妙な愛しさというか(?)、妙な共感というか(?)、妙な寂しさというか(?)…、言語化不可能なあの感覚は、何なのだろう?)。
でも、それは、もしかしたら私だけではなく、同じように感じている方も少なくないのでは?とも思うのだが。
☆
私には、嫌いな人や付き合いにくいと感じる人は、もちろんいるけど、(人と口論になることも、もちろんたまに有る)、
でも、表面的に「嫌い」であっても、その人の存在自体は応援したいし、人それぞれ、その人らしい花を咲かせて欲しい、と思う。
仲が悪い人などには、お互い頑固で気難しい部分があることに、不思議な可笑しみ・親しみ・共感・連帯感さえ、感じる。
(私の人生の中で悪者を演じさせてごめんなさい、とも思う。…あるいは、そういう感情や思考や判断の全てが、みみっちくてアホらしいギャグのように感じる時もある)。
☆
そもそも私自身、好き嫌いの激しい人間。
どんな人のことも、どんな音楽作品のことも、無条件に「好き」になるなんて、私にはハードル高すぎて不可能。
だからこそ、私は、人それぞれの“好き嫌い”を、尊重したくなるのかもしれません。
心が狭いのは、私も同じだから。
☆
そんなわけで、他者や自分の、表面的な“発言”や“行動”や“作品”を嫌うことはあっても、
その人自身…、
その存在自体…、
この不思議な「人生」というものを授かった者どうし、
皆それぞれ、良くも悪くも、偏った目線や価値観を持つ者どうし、
(皆それぞれ、良くも悪くも、自分に誇りを持ったり、自分を嫌ったり、他者との摩擦に悩んだり、他者との触れ合いに癒されたり、他者を責めたり、自分を責めたり、調子に乗ったり、反省したり、ピュアだったり、腹黒かったり、優しかったり、自己中心的だったり、見栄をはったり、謙遜したり、謙虚なことを自負にしたり、自己アピールしたり、自己アピールしないことをアピールしたり、努力したり、さぼったり、自惚れたり、人や自分を騙したり…、)
意外と、ほとんど皆、「似た者同士」とも感じる。
☆
人それぞれ、性格・役割・立場・状況・健康状態・生き方・好き嫌い・価値観などは、誰一人、同じではない。
(同じでたまるか、とも思う。「皆同じでなきゃいけない」みたいな空気ほど、息苦しいことは無い)。
でも、大雑把に「人生」というものを俯瞰すると、「人間皆、良くも悪くも似たようなものかもしれない」とも、私は感じる。
☆
人間の、あらゆる思考・感情・感覚・価値観・ポリシーなどは、全て、単なる誤解や盲信や思い込みのようにさえ、私は感じる。
そして、そのこと自体にも、私は、不思議な労りや、愛着や諦観のようなものも感じます。
(※「人は皆違う」という感覚と、「人は皆似ている」という感覚が、私の中には、矛盾なく共存しています)。
…かと言って、繰り返しになるが、誰のことも、どんな音楽作品のことも、全て平等に「好き」になれるわけではないけど。
だが、好きな人も嫌いな人も、好きな音楽作品も嫌いな音楽作品も、その全てが愛しいような感覚は、確かにあるのだ。
☆
我々の「好き嫌い」も、「思考」も、「感覚」も、「性格」も、「価値観」も、「生き方」も、「ポリシー」も…、
全て、表面的と言えば表面的なもの。
どれも、大切だとは思います。
けど、どれも、「自分」という限られた狭い目線・経験に条件付けられた、いわば“条件反射”みたいな側面も有る。(単なる思い込みや決め付け)。
どれも大切だけれど、どれも絶対的なものでは無いし、どれも本質的なものでも無い気がします。
(どれも、服やファッションみたいに脱ぎかえ可能。どれも、立場や状況が変われば、自然に変化していくもの)。
もしくは、「分からないし、分かろうとしない。決めないし、決めようとしない」。
という回答になります。
(まあ…、「決めない」というふうに、決めているだけかもしれないが…)。
その通りだと思うし、さらに言えば、私は「愛」と「好き嫌い」も、別のものだと感じている。
「愛」という感情は、特定の個人にというより、だいたい全ての存在に、だいたい沸き上がる感じもします。
(嫌いな人などに対しても、不思議と沸き起こる。嫌いな音楽作品などに対しても、だいたい不思議と沸き起こる。…むしろ、嫌いな人や嫌いな作品に対してこそ沸き起こる、妙な愛しさというか(?)、妙な共感というか(?)、妙な寂しさというか(?)…、言語化不可能なあの感覚は、何なのだろう?)。
でも、それは、もしかしたら私だけではなく、同じように感じている方も少なくないのでは?とも思うのだが。
☆
私には、嫌いな人や付き合いにくいと感じる人は、もちろんいるけど、(人と口論になることも、もちろんたまに有る)、
でも、表面的に「嫌い」であっても、その人の存在自体は応援したいし、人それぞれ、その人らしい花を咲かせて欲しい、と思う。
仲が悪い人などには、お互い頑固で気難しい部分があることに、不思議な可笑しみ・親しみ・共感・連帯感さえ、感じる。
(私の人生の中で悪者を演じさせてごめんなさい、とも思う。…あるいは、そういう感情や思考や判断の全てが、みみっちくてアホらしいギャグのように感じる時もある)。
☆
そもそも私自身、好き嫌いの激しい人間。
どんな人のことも、どんな音楽作品のことも、無条件に「好き」になるなんて、私にはハードル高すぎて不可能。
だからこそ、私は、人それぞれの“好き嫌い”を、尊重したくなるのかもしれません。
心が狭いのは、私も同じだから。
☆
そんなわけで、他者や自分の、表面的な“発言”や“行動”や“作品”を嫌うことはあっても、
その人自身…、
その存在自体…、
この不思議な「人生」というものを授かった者どうし、
皆それぞれ、良くも悪くも、偏った目線や価値観を持つ者どうし、
(皆それぞれ、良くも悪くも、自分に誇りを持ったり、自分を嫌ったり、他者との摩擦に悩んだり、他者との触れ合いに癒されたり、他者を責めたり、自分を責めたり、調子に乗ったり、反省したり、ピュアだったり、腹黒かったり、優しかったり、自己中心的だったり、見栄をはったり、謙遜したり、謙虚なことを自負にしたり、自己アピールしたり、自己アピールしないことをアピールしたり、努力したり、さぼったり、自惚れたり、人や自分を騙したり…、)
意外と、ほとんど皆、「似た者同士」とも感じる。
☆
人それぞれ、性格・役割・立場・状況・健康状態・生き方・好き嫌い・価値観などは、誰一人、同じではない。
(同じでたまるか、とも思う。「皆同じでなきゃいけない」みたいな空気ほど、息苦しいことは無い)。
でも、大雑把に「人生」というものを俯瞰すると、「人間皆、良くも悪くも似たようなものかもしれない」とも、私は感じる。
☆
人間の、あらゆる思考・感情・感覚・価値観・ポリシーなどは、全て、単なる誤解や盲信や思い込みのようにさえ、私は感じる。
そして、そのこと自体にも、私は、不思議な労りや、愛着や諦観のようなものも感じます。
(※「人は皆違う」という感覚と、「人は皆似ている」という感覚が、私の中には、矛盾なく共存しています)。
…かと言って、繰り返しになるが、誰のことも、どんな音楽作品のことも、全て平等に「好き」になれるわけではないけど。
だが、好きな人も嫌いな人も、好きな音楽作品も嫌いな音楽作品も、その全てが愛しいような感覚は、確かにあるのだ。
☆
我々の「好き嫌い」も、「思考」も、「感覚」も、「性格」も、「価値観」も、「生き方」も、「ポリシー」も…、
全て、表面的と言えば表面的なもの。
どれも、大切だとは思います。
けど、どれも、「自分」という限られた狭い目線・経験に条件付けられた、いわば“条件反射”みたいな側面も有る。(単なる思い込みや決め付け)。
どれも大切だけれど、どれも絶対的なものでは無いし、どれも本質的なものでも無い気がします。
(どれも、服やファッションみたいに脱ぎかえ可能。どれも、立場や状況が変われば、自然に変化していくもの)。
☆
「では、絶対的で本質的なものは何か?」、「“自分らしさ”や“自然体”とは何か?」などと、自分に問うなら、
明確な答えなどは出ないが、
あえて言えば、私なりには、「そんなものは無いし、そんなものは要らない」。
「では、絶対的で本質的なものは何か?」、「“自分らしさ”や“自然体”とは何か?」などと、自分に問うなら、
明確な答えなどは出ないが、
あえて言えば、私なりには、「そんなものは無いし、そんなものは要らない」。
もしくは、「分からないし、分かろうとしない。決めないし、決めようとしない」。
という回答になります。
(まあ…、「決めない」というふうに、決めているだけかもしれないが…)。
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