「即興演奏=直感的」とか、必ずしも言えない。
- 2012.02.29 Wednesday
- 18:10
先ほどの続きだけど、
例えば、素晴らしいジャズミュージシャンなどの即興演奏が、むしろ非常に知的で、形式的で、左脳的に聞こえるようなことは、よくあります。
なぜなら、そういう即興演奏のほとんどは、決まりきった形式やルールやテンプレートに則っているから。
逆に、ブラームスとかベートーヴェンとかが、何年間も、(曲によっては何十年間も)、熟考に熟考を重ねて作った曲のほうが、意外と私は、直感的なフィーリングの深さ・自由さを感じたりもします。(本当に直感的な音を探すために、形式・テンプレートの習慣を捨てるために、むしろ、時間がかかることもあるのです)。
しかも、「知的で形式的な音楽」が劣っていて、「感覚的で直感的な音楽」が優れているわけでもないですしね〜。単なる好みの問題ですし、ハッキリ区分できるものでもないし。
例えば、素晴らしいジャズミュージシャンなどの即興演奏が、むしろ非常に知的で、形式的で、左脳的に聞こえるようなことは、よくあります。
なぜなら、そういう即興演奏のほとんどは、決まりきった形式やルールやテンプレートに則っているから。
逆に、ブラームスとかベートーヴェンとかが、何年間も、(曲によっては何十年間も)、熟考に熟考を重ねて作った曲のほうが、意外と私は、直感的なフィーリングの深さ・自由さを感じたりもします。(本当に直感的な音を探すために、形式・テンプレートの習慣を捨てるために、むしろ、時間がかかることもあるのです)。
しかも、「知的で形式的な音楽」が劣っていて、「感覚的で直感的な音楽」が優れているわけでもないですしね〜。単なる好みの問題ですし、ハッキリ区分できるものでもないし。
(ちなみにロックやポップスなんかは、基本的に、知的で形式的な音楽ですね。本当にフリーで直感的・感覚的な音楽なんて、たいてい、聴いた人からは「分からない」とか「難しい」とか、言われがちです…。)
ともかく、一つ断言できることは…、「即興演奏」=「直感的」とか、「時間をかけた作曲・創作・推敲」=「思考的」みたいな図式は、必ずしも正しくない、ということ。
なぜなら、「即興演奏」という手段で、知的・形式的な音楽を表現する人は沢山いるし…、あるいは逆に、時間をかけて作曲・創作する人でも、直感的・直情的・抽象的な世界を創る人も沢山いるから。
創作の「方法」や「手段」や「ジャンル」で、その人の表現したい内容が決まるわけではないのだ。
「手段」などより、大切なのは、作品そのもの・演奏そのもの・音そのもの…。その本質・感触・味わい…。
どんなタイプの音楽が優れているとか劣っているでもなく、音楽家それぞれが、「どういう方向性の音楽を作りたいか」、という、選択や意図や好みの問題だと思う。
ともかく、一つ断言できることは…、「即興演奏」=「直感的」とか、「時間をかけた作曲・創作・推敲」=「思考的」みたいな図式は、必ずしも正しくない、ということ。
なぜなら、「即興演奏」という手段で、知的・形式的な音楽を表現する人は沢山いるし…、あるいは逆に、時間をかけて作曲・創作する人でも、直感的・直情的・抽象的な世界を創る人も沢山いるから。
創作の「方法」や「手段」や「ジャンル」で、その人の表現したい内容が決まるわけではないのだ。
「手段」などより、大切なのは、作品そのもの・演奏そのもの・音そのもの…。その本質・感触・味わい…。
どんなタイプの音楽が優れているとか劣っているでもなく、音楽家それぞれが、「どういう方向性の音楽を作りたいか」、という、選択や意図や好みの問題だと思う。
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雪かき
- 2012.02.29 Wednesday
- 17:53
昼過ぎに。
雪かきした。
雪かきった。
ウオオオ〜っつって。
巨大シャベルで。(専用の雪かき用具、買わないとな)。
10メートルほど一気にやったら、汗でドテドテ、汗ダルマよ。
豪雪地帯なんか、凄まじく大変だろうな…。
東京程度の積雪など楽勝よ。
むしろ、雪かき、なかなか心地良いものでした。
シャベルと身体が一体化する感覚…。雪をかく音…。雪の重みを遠くへ放り投げる繰り返し…。一連の動作・力作業に、意識や気持ちを預けてしまうような感覚…。驚くほど素晴らしい身体機能の神秘・感謝…。
つまり、どんな行動もどんな音も、人間にとって、瞑想や内観や祈りになりうるのだ。(よほど不快な行動や音でなければ)。
何が言いたいかというと…、
雪かきした。
雪かきった。
ウオオオ〜っつって。
巨大シャベルで。(専用の雪かき用具、買わないとな)。
10メートルほど一気にやったら、汗でドテドテ、汗ダルマよ。
豪雪地帯なんか、凄まじく大変だろうな…。
東京程度の積雪など楽勝よ。
むしろ、雪かき、なかなか心地良いものでした。
シャベルと身体が一体化する感覚…。雪をかく音…。雪の重みを遠くへ放り投げる繰り返し…。一連の動作・力作業に、意識や気持ちを預けてしまうような感覚…。驚くほど素晴らしい身体機能の神秘・感謝…。
つまり、どんな行動もどんな音も、人間にとって、瞑想や内観や祈りになりうるのだ。(よほど不快な行動や音でなければ)。
何が言いたいかというと…、
蒸し返すわけではないが、「“音楽”や“即興演奏”って何なのよ?」ってこと(笑)。
もちろん、正解など無いから、音楽家一人一人が、自分にとっての「音楽」や「即興」の定義・価値・スタイル、決めるしかないのだが…。
でも先ほど言ったように、基本的に、どんな行動でもどんな音でも、人間の深い魂や身体の根源に、繋がりうる。
だからこそ、よく、「在るがままの音で良い」「気持ちを込めていれば良い」「音を楽しんでいれば良い」「直感で即興的に生み出すのが一番良い」、みたいな風潮も生まれてしまうわけだが…、いやいやいや、私としては、音楽の創作や演奏には、「厳選」や「練習」が必要だと思えてならないのですよね…。
(自然音、街の雑踏、偶然性の音楽なども、もちろん、「音楽」と呼んでも構わないとは思いますけどね)。
あと、“閃いたままの直感”って、魂や心の奥底から来たピュアなものだと勘違いしやすいけど…、実は、単なる、後天的に染み付いた習慣・癖・常識に過ぎないことも多いのではないか?
もちろん、正解など無いから、音楽家一人一人が、自分にとっての「音楽」や「即興」の定義・価値・スタイル、決めるしかないのだが…。
でも先ほど言ったように、基本的に、どんな行動でもどんな音でも、人間の深い魂や身体の根源に、繋がりうる。
だからこそ、よく、「在るがままの音で良い」「気持ちを込めていれば良い」「音を楽しんでいれば良い」「直感で即興的に生み出すのが一番良い」、みたいな風潮も生まれてしまうわけだが…、いやいやいや、私としては、音楽の創作や演奏には、「厳選」や「練習」が必要だと思えてならないのですよね…。
(自然音、街の雑踏、偶然性の音楽なども、もちろん、「音楽」と呼んでも構わないとは思いますけどね)。
あと、“閃いたままの直感”って、魂や心の奥底から来たピュアなものだと勘違いしやすいけど…、実は、単なる、後天的に染み付いた習慣・癖・常識に過ぎないことも多いのではないか?
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名画
- 2012.02.29 Wednesday
- 15:19
お、今日は『テルマ&ルイーズ』やってたのか。かなり大好きなロードムービーです。DVD買うかな…。(ラストシーンの美しさ、鮮烈!私が見たのは15年以上前だと思うけど、特にラストシーンは、鮮明に心に残っている。自由なような、哀しいような…。)
そう言えばジョナサン・ラーソンも、『RENT』の歌詞の中に、『テルマ&ルイーズ』のことを書いていたな…。
そう言えばジョナサン・ラーソンも、『RENT』の歌詞の中に、『テルマ&ルイーズ』のことを書いていたな…。
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こんなものに価値は無い!(^O^)/
- 2012.02.29 Wednesday
- 01:23
ピアノ即興、一応、そこそこ良いのなら出来るな…。
ここ数日、空き時間は、延々とピアノで即興していた。
(※ジャズの音使いによる即興ではなく。ニューエイジピアノや、もしくは、現代音楽的な即興です)。
でも、そこそこなら出来るけど…、私としては、「こんな音楽には何の価値も無いのでは?」とも感じてしまう…。
抽象的な音楽が嫌いなわけではないです。
あまりメロディーや形式のハッキリしないような抽象的音楽でも、好きな作品はたくさんある。(抽象的というか、「フリーで即興的な感じの曲調」、と言うべきか)。
一例をあげれば、キース・ジャレットの『ステアケイス』『ブレゲンツコンサート』『ケルンコンサート』『ラ・スカラ』、メシアンの『Le loriot』(鳥のカタログ)、西村朗『ヴィシュヌの化身』、ドビュッシー『ベルガマスク組曲』『アラベスク第一番』、ベートーヴェン・ピアノソナタ『12番第4楽章』『30番第1楽章』、バッハ『チェンバロ協奏曲5番第2楽章』、などなど…。
で、私が、「そういう素晴らしい抽象的音楽を作ろう!」と決意したとして、(彼らの作風をパクるのではなく、自分なりに)
それを実現するためには、私の場合、むしろ「即興」という手段では、かなり難しい。
「即興」では、私の場合は、型通りの和音やフレーズばかり出てきてしまいますから。
魂や精神の根源に迫るような(?)、心の奥底の深いインスピレーションを具現化するためには…、私の場合、パッと手癖で作らないこと・習慣で作らないことが肝心デス…。
多分、技術や音感が優れている人なら、深い魂のインスピレーションを、即興でパッと「音に翻訳」できるのかもしれないが…、私レベルの音感の者の場合(?)、そういう深い魂のインスピレーションを音として現すためには、ピアノで一音一音鳴らしながら、じっくり探すしかない(笑)。
作っては消し、書いては消し、また作っては消し、書いては消し…、その都度立ち止まって、時間をかけて、少しずつ、内的なインスピレーションを音に「翻訳」していくしかない…。(少なくとも、今のところは)。
当方、自分なりに最高の曲を作るためには、1曲作るのに、数年かけても良いくらいのつもりでやってオリマス。
単なるお稽古ごとみたいな、型通りで「お上手」なだけの音楽や即興では、しょうがないからなぁ…。
ここ数日、空き時間は、延々とピアノで即興していた。
(※ジャズの音使いによる即興ではなく。ニューエイジピアノや、もしくは、現代音楽的な即興です)。
でも、そこそこなら出来るけど…、私としては、「こんな音楽には何の価値も無いのでは?」とも感じてしまう…。
抽象的な音楽が嫌いなわけではないです。
あまりメロディーや形式のハッキリしないような抽象的音楽でも、好きな作品はたくさんある。(抽象的というか、「フリーで即興的な感じの曲調」、と言うべきか)。
一例をあげれば、キース・ジャレットの『ステアケイス』『ブレゲンツコンサート』『ケルンコンサート』『ラ・スカラ』、メシアンの『Le loriot』(鳥のカタログ)、西村朗『ヴィシュヌの化身』、ドビュッシー『ベルガマスク組曲』『アラベスク第一番』、ベートーヴェン・ピアノソナタ『12番第4楽章』『30番第1楽章』、バッハ『チェンバロ協奏曲5番第2楽章』、などなど…。
で、私が、「そういう素晴らしい抽象的音楽を作ろう!」と決意したとして、(彼らの作風をパクるのではなく、自分なりに)
それを実現するためには、私の場合、むしろ「即興」という手段では、かなり難しい。
「即興」では、私の場合は、型通りの和音やフレーズばかり出てきてしまいますから。
魂や精神の根源に迫るような(?)、心の奥底の深いインスピレーションを具現化するためには…、私の場合、パッと手癖で作らないこと・習慣で作らないことが肝心デス…。
多分、技術や音感が優れている人なら、深い魂のインスピレーションを、即興でパッと「音に翻訳」できるのかもしれないが…、私レベルの音感の者の場合(?)、そういう深い魂のインスピレーションを音として現すためには、ピアノで一音一音鳴らしながら、じっくり探すしかない(笑)。
作っては消し、書いては消し、また作っては消し、書いては消し…、その都度立ち止まって、時間をかけて、少しずつ、内的なインスピレーションを音に「翻訳」していくしかない…。(少なくとも、今のところは)。
当方、自分なりに最高の曲を作るためには、1曲作るのに、数年かけても良いくらいのつもりでやってオリマス。
単なるお稽古ごとみたいな、型通りで「お上手」なだけの音楽や即興では、しょうがないからなぁ…。
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2012.2.27(2)
- 2012.02.27 Monday
- 16:48
今日の本日の昼の昼食にいただいた、モスバーガー“サーモンカツバーガー”、美味しかった。空腹と我がルサンチマンが、一気に解消されました。(相変わらず、「ルサンチマン」言いたいだけ)。
さて、当方只今、電車移動中。車窓から流れ去る風景を眺めていると…、好ましいカンジの旅愁・旅情に満たされてくる。
今日の私は、スティングかラブサイケデリコでも聴きたいカンジの旅愁です。ラブサイケデリコの初期の曲、『Last Smile』とか。あのクールな哀愁感・孤独感、好きです。(孤独なのに、不思議に慰められるようなカンジもします)。確か、「運命線からget way、憂いてる風とも、何たらかんたら…♪」、みたいな歌詞の曲。超うろ覚え(笑)。歌詞は覚えてないけど、しかし、音はちゃんと覚えてる。スネアが渇いたリムショットっぽい音なのも好ましいし、サビ前の単純なフィルインとか…、あと、全体的にメロディーラインや、コードがC→Gのところなんか、私的にはキュンときて泣ける。
スティングは、ベストアルバムを聴いた程度だけど…、やはり孤独感に満ちていて、しかし、そこはかとなく慰め・労りも感じられて、大好きなのです。(映画『LEON』のエンドロール曲など、映画ともども、最高に大好き!)
さて、当方只今、電車移動中。車窓から流れ去る風景を眺めていると…、好ましいカンジの旅愁・旅情に満たされてくる。
今日の私は、スティングかラブサイケデリコでも聴きたいカンジの旅愁です。ラブサイケデリコの初期の曲、『Last Smile』とか。あのクールな哀愁感・孤独感、好きです。(孤独なのに、不思議に慰められるようなカンジもします)。確か、「運命線からget way、憂いてる風とも、何たらかんたら…♪」、みたいな歌詞の曲。超うろ覚え(笑)。歌詞は覚えてないけど、しかし、音はちゃんと覚えてる。スネアが渇いたリムショットっぽい音なのも好ましいし、サビ前の単純なフィルインとか…、あと、全体的にメロディーラインや、コードがC→Gのところなんか、私的にはキュンときて泣ける。
スティングは、ベストアルバムを聴いた程度だけど…、やはり孤独感に満ちていて、しかし、そこはかとなく慰め・労りも感じられて、大好きなのです。(映画『LEON』のエンドロール曲など、映画ともども、最高に大好き!)
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2012.2.27
- 2012.02.27 Monday
- 15:48
自主製作CD企画、第二段のためのリハーサル、只今終了。自分の作った曲を、自分ではないピアニスト様に弾いて頂く…、何とまあゼイタクな!(^O^)/
今回は、自分の技量では弾ききれない曲が多々あり…。一部、ピアノ外注なのです。(^^;)
それはそうと、リハの休憩中に、そのピアニストさんとマーラーやシベリウスの話題で盛り上がったなあ。そんなこと話せる相手はあまりいないので、めちゃくちゃ楽しかった。(シベリウス交響曲には、かなり思い入れあるので、いずれ当ブログでも、膨大な長文を書かせて頂きます。グフフフ…。)
今回は、自分の技量では弾ききれない曲が多々あり…。一部、ピアノ外注なのです。(^^;)
それはそうと、リハの休憩中に、そのピアニストさんとマーラーやシベリウスの話題で盛り上がったなあ。そんなこと話せる相手はあまりいないので、めちゃくちゃ楽しかった。(シベリウス交響曲には、かなり思い入れあるので、いずれ当ブログでも、膨大な長文を書かせて頂きます。グフフフ…。)
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開いてて良かった
- 2012.02.25 Saturday
- 16:53
そう言えば、わたくし生まれて初めて入ったコンビニは、多分、セブンイレブンです。小学1年か2年頃だろうか?当時は、文字通り7時開店の11時閉店だったと思う。近所(と言っても家から徒歩15分ほど)に、はじめてコンビニが出来たのが、確かその頃でした。私が子供の頃は、まだ“コンビニ”という存在自体、ほとんど無かった気がする。(少なくとも、住んでいた埼玉県狭山市あたりでは)。
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「チーズ二層仕立て」
- 2012.02.24 Friday
- 20:33
今日セブンイレブンで買ってみた『泡雪のレアチーズ』。ずわ〜っ!こ、こ、これは美味しい〜!“コク”っつーの?感触もなめらかすぎて、俺のtongueがレロレロしたぜ…。みなぎる感動と感謝。
一日の疲れと我がルサンチマンが、見事に消去された。
しかしまあ、こんなハイレベルなものがコンビニで買えるなんて、世のパティシエさんも大変だな。(ま、音楽家もな。今の時代、アマチュアでも、全然ガンガン凄ぇ曲作れるし、音感鋭いし、ピアノ弾けるし、指揮者並みに読譜力ある人とかも、たくさんいますからね…。)
一日の疲れと我がルサンチマンが、見事に消去された。
しかしまあ、こんなハイレベルなものがコンビニで買えるなんて、世のパティシエさんも大変だな。(ま、音楽家もな。今の時代、アマチュアでも、全然ガンガン凄ぇ曲作れるし、音感鋭いし、ピアノ弾けるし、指揮者並みに読譜力ある人とかも、たくさんいますからね…。)
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