「やらないで逃げ出したら何も始まらない」

  • 2010.12.31 Friday
  • 21:54
今日テレビで見て、共感した言葉。(『ペケポン』)。

お笑い芸人を志した若き日の柳原可奈子さんに、周囲は、「無理だ」「やめとけ」…、

しかし、「やらないで逃げ出したら何も始まらない」。

同感。やらなきゃ後悔するだろうし、やらなきゃ気持ちもおさまらないだろうし。

私は今だに、毎日そういう気持ちかも。

一つ夢を叶えたとしても、次に目指したいことは常に生まれてくる。そういう気持ちや衝動を、無視することは難しい。

頑張らずに、流れに任せるような生き方だけが、自然体なわけではない。

ナチュラルに、無欲に、“在るがまま”を生きることだけが良い人生でもなくて…、(それも素晴らしいけど)、

「なりたい自分になる」「なりたい自分を目指す」「仕事などに我が身を捧げて没頭したい」、

そういう欲求や情熱が沸き起こることも、人間の魂の自然であり、本質なのだ。多分。私はソー思う。それもまた、“在るがまま”なのだ。

目指すことが、成功するかどうかも大事かもしれないが…、しかしそれ以上に、飛び込むこと自体に意義があるッ!
  • 0
    • -
    • -
    • -

    今日は大晦日

    • 2010.12.31 Friday
    • 21:46
    無理かもしれないが…、

    どんな人の、どんな性質や性格も、(一見、「嫌な奴」と感じてしまうような性格でも)、取り合えず、「長所だな」「それって長所じゃん?」みたいに思えたら楽だろうな、と思う。(実際、そうだと思う)。

    今日は何となく、ダラダラしながら、そんなことを思っていた。

    多くの人が言っていることだけど、一見“短所”と見えることは、裏を返せば“長所”でもある。

    人のことも自分のことも、なるべくそういう目で見れれば、と思う。(本当は、性格に短所も長所も無いのかもしれないが)。
     


    例えば、“心配性”で、“小心者”で、常にアタフタしたような人は、裏を返せば、健康や平安な人生を愛している、優しい性格なのだと思うし。

    言葉数が少なく、表情が乏しいような人は、「ノリが悪い」とか「つまらない人」とか言われがちだが、物静かな魅力があるのだと思う。

    逆に、言葉や表情が過剰に多い人は…、文筆や演劇や、人を楽しませる才能があるのかもしれない。こちらも、「理屈っぽい」とか「考えすぎ」とか「軽薄」とか、非難されがちだが。

    あと…、優柔不断で、“自分が何をやりたいか分からない人”なんか、素晴らしいと思う。何かを「選べない」ということは、実は、この世の中の、あらゆる仕事・あらゆる趣味・あらゆる考え方・あらゆる感じ方など…、それら全てを、平等に見れる人でもあるのだ。どんな立場の人のことも、認めてあげたい人なのだ。(だから、特定の立場や生き方だけを選べない。差別できない)。そういう人は、今現状はどうあれ、いずれは、たくさんの人を励ましたり癒したりしていくはず。(と、思う)。
     


    自分の性格であれ、人の性格であれ、
     
    嫌いな性格や生き方を見つけても、否定しすぎたり、矯正させようとしすぎる必要はない気がしている。

    むしろ、そこにこそ、好ましい個性・美点・能力なども隠れているはず。
     
    頭ごなしに矯正するより、そこを掘り下げて、さらに伸ばされるべきものだと思う。(“良いもの”として認めてあげたほうが、解放・変容・成長するのではないか、と思う)。
     


    先ほど書いた以外にも、“見方”を変えたいような例は、いくらでもある。
     
    例えば…、

    言葉遣いや態度がチャラチャラした人は、「礼儀が無い」とか言われてしまうかもしれないが…、本来的には、フランクで自然体な魅力が溢れた人だと思う。

    逆に、笑顔やジョークが苦手な人は、退屈な“堅物”なのではなく、真面目で落ち着きがあるのだと思う。

    ガツガツ夢や目標や理想を追い求める人は、積極的な魅力・情熱が溢れているし…、

    あまりガツガツ努力しないで、「なるようになるさ〜」みたいな人は、優雅で穏やかなムードが魅力的だ。

    物質主義者は、物や商品の中に、真心や美や感謝を見いだせる心眼を持つと思うし…、

    思考や論理を大切にする人は、そういう論理的思考の中に、感覚的インスピレーションや直感・霊感を発見すると思う。

    (逆に、感覚的で、感性や内面を大切にする人は…、実は、そういう感覚を、体系的に把握できる理性・知性・論理性を持つ人も多い。内面を大切にするからこそ、目に見える物質やお金や出来事を大切にする人も多いし)。

    ワガママや言い訳が多い人は…、相手に好かれたい・相手とベタベタ仲良くしたい想いが根底にある、人懐っこい性格なのかもしれない。

    行動がスローで消極的で、大人しすぎる草食系みたいな人も、全然否定されるべきではなく…、むしろ、一つ一つの言動に重みや魅力や存在感がある。(そういう指揮者の先生もいました)、

    逆に、行動がスピーディー&エネルギッシュで、強欲かつ欲深いような人も、全然否定されるべきではなく…、むしろ、心の奥底には静けさを内包している人も多い。(現実的な目標や結果ばかり追い求める人は、“強欲なエゴイスト”というより…、実は、内なる魂の命令に従っている、非常にピュアな“無我状態”と見ることも出来る)。

    ナチュラルで“自然体”の人は、とても魅力的だし…、

    しかし、作為的で“不自然体”の人も…、なりたい自分の理想を演じたり、尊敬する人の生き方を真似したりして…、ある意味、衝動に正直に生きているわけだから…、それもまた、自然体とも言える。(今はぎこちなくて不自然だとしても、いずれはスムーズに、目指す方向の自分になり続けていくと思う)。

    好戦的で負けず嫌いで、すぐ喧嘩するような人は…、格闘技やスポーツの才能があるのかもしれないし、とことん人と腹を割って分かり合いたい・関わり合いたい、実は暖かい人柄なのかもしれない。本質的には。今現在は、付き合いにくい人物だとしても。
     

    しかも、誰でも…、性格や生き方など、どんどん変わるかもしれない。(変わらない人も魅力的だし、どんどん変わる人も魅力的)。

    だから、よほどの犯罪行為・迷惑行為とか、よほど自傷行為とか、そういう急を要する場合は別として…、

    基本的には、人の感性や生き方を、“良くないもの”と見る必要は無いと思う。(あと、“レベルの低いもの”とか)。

    誰かの性格や生き方を、過度に否定的に見すぎることもないし、過度に肯定的に崇拝しすぎることもない。

    優劣も正解も無い、単なる個性や性質なのだから。
     


    そもそも、人の内面は多面的&流動的だから、他人の心の奥底まで、完璧に分かるはずもない。

    私はもちろん、出来れば、人と「分かり合いたい」です。

    でも、人の職業・年齢・性別・人種や、表面的な言動だけを見て…、相手の内面を全て分かった気になるのは失礼だ、(というか不可能だ)、と思う。
     

    私はもちろん、人に優しくしたいし、優しくもされたい。

    でも、「これが“優しさ”ですよ」「優しい行動とはこういうものですよ」などと決めすぎてしまうことは、むしろ冷たくて傲慢に感じる。それは、私にとっては居心地の悪いことだ。

    (優しさの定義なんて人それぞれだし、その表現方法も人それぞれ。状況やシチュエーションによっても変わる)。
     


    と、まあ…、今日は、上記のようなことを書いておいて…、

    私は実際には、なかなかそんなに公平かつ冷静にはなれないだろうとは思う。

    人のことを、「嫌な人」と感じてしまうことも、よくある。誰でもあると思うが。

    でも、心の片隅では…、その「嫌」と感じる部分も、実は、裏を返せば長所であり美点なはず、と、思っていたいです。
     
    全ての人を好きになろうなどとは思わないが、頭のどこか片隅で、そう思っていたいものです。(私が嫌いな人も、実は、私が勝手に誤解している可能性も大きいし)。
     

    で…、この記事で今まで書いてきたことと矛盾するようだけど、

    私にとって、それよりも大切なことは、自分なりの個性やカラーを生きること!

    人それぞれの個性や生き方を尊重しつつも、自分の満足いくことを追い求めていくことに、何の遠慮も要らないと思う。

    そんなことは、わざわざ決意せずとも、毎日自然に追い求めてしまいますけどね。(大袈裟に言えば、そこに、人それぞれの指命や生き甲斐がある気もします)。

    私は、好きな音楽に没頭していたいし、もっと自分の音楽を磨きたいし、もっと広く発表できる場も増やしていきたい。
     
    それを目指したり、そのために生きるのが好き。少なくとも、今のところは。
     


    そして、極端なことを言えば…、
     
    私は、人のことも自分のことも、あまり信じすぎたくないです。

    なぜなら、誰もが、今現状の姿が全てではないから。

    「私はこういう人」とか、「彼(彼女)はこういう人」とか…、そんな信念は全て、“嘘”とまでは言わないが、永続的・絶対的なものではないはず。

    人のことも自分のことも、今現状の姿だけに縛られて見たくないし、表面だけを見て、簡単に分かったつもりにもなりたくない。
     
    そういう意味で、私は、「人のことも自分のことも(今の姿を)信じすぎたくない」です。

    人の内面も、人生の状況も、夢や目標も、考え方や生き方も…、流動的に変わるし・変えられる…、

    それらは、自分の意志・選択・努力で変えることが出来るかもしれないし…、時の流れや、新たな出会いや、状況の変化などによって、徐々に変えられることもあるかもしれない。
     


    多分、たいていの人は、(私も含めて)、それぞれに与えられた境遇や状況や役割と一体化して生きているので…、その人にしか分からない苦労や感動や、その人にしか分からない生き方を、それぞれの人が皆、持っているはず。

    そう思うと、一人一人の人生に、心から尊敬や好奇心や、親しみや労りのような気持ちも沸き上がります…。
     


    少し毒を吐くなら…、私は、自分の感性や価値観や生き方だけを正しいと思い込んでいる人が苦手。

    で、そういう人が、性格や精神性や、生き方やアートなどについて…、何が良いとか悪いとか、何が精神レベル高いとか低いとか…、格付けしたりするのを見るのが苦手。

    つまり、多様性を認めない雰囲気が苦手です。

    個人的な“好み”を言うだけなら、よく私も言うけど…、そういう個人的な好みを、普遍的な真理だと勘違いしてしまう人が苦手ですね。
     


    しかしながら…、
     
    全てを覆すようなことを書くが…、

    実は私は、やたら否定的・批判的な人も、意外と嫌いでもない。
     
    好きな場合さえあります。
     
    例えば、気難しいアーチストみたいな人とか?(別に、アーチストじゃなくても)。

    例えば、絶対に他人のギャグには笑わない若手お笑い芸人とか…、そういう負けん気の強い人も、魅力的だと思う。(私自身も、とても尖った部分もあるし)。
     


    “否定”という感情も、裏を返せば“肯定”と同じなのかもしれない。エネルギー的には。

    意識的にせよ、無意識的にせよ…、他者の感性や生き方を否定することで、自分のことを肯定したいのかもしれない。

    私にも、そういうところが無いとは言い切れない。
     
    しかも、そういうところがあったとしても、悪いとも言えない。
     


    結局…、私にとって、どう感じるのが一番心地良いかと言うと…、

    「分からない」。これに尽きる。

    性格や感性や生き方などについて…、何が良いとか悪いとか、何も私は「分からない」。

    「分からない」から、「何でもアリなのではないか?」と思う。

    「分からない」から、「誰でも、(今現状はどうあれ)、どんな性格や感性も、本来的には長所であり魅力なのではないか?」と思う。

    そして、私にとって大切なのは、「分かる・分からない」や「良い・悪い」ではなく…、
     
    私なりに大切なことは…、何かや誰かに「惹かれる衝動」とか、「好きになる気持ち」…。
     
    そういうことだと思っている。(非常に、個人的で主観的なこと)。
     

    上記のように思うこと自体も、良いとも悪いとも思わないが。

    何となく、そんなことを感じていたToshinoseの日…。オーミソカ…。

    今年一年に、たくさんの感謝と、もちろん反省や学びも有り難く受けとって…。

    しかし年の瀬とは言え、私は、気持ちは常に「次」と「今」に向かってしまいます。振り返るよりも。

    来年も楽しみだ。来年は私は、ここ数ヶ月取り組んでいることを、さらに発展させたいです。
    • 0
      • -
      • -
      • -

      『THIS IS IT』

      • 2010.12.28 Tuesday
      • 12:10
      先日テレビで放送された『THIS IS IT』。録画しておいて見た。

      マイケル・ジャクソンは、昔はあまり知らなかったけど、10年前くらいから大好き!(子供の頃、ジャイケル・マクソンとか言ってごめんなさい)。

      『THIS IS IT』は、今回初めて見ました。

      相変わらずマイケルのパフォーマンスは、「神々しい」としか言えないほど素晴らしい。

      例えばバッハとかベートーヴェンとか、メシアンとかキース・ジャレットとかの音楽に触れた時…、私は「好き」とか「嫌い」以前に、圧倒的なほどの畏怖や憧憬を感じるけど…、

      マイケル・ジャクソンも、私にとってはそういう感じの人。

      作曲も歌も素晴らしいが、彼の動き(ダンス)を見ていると、有り得ない奇跡的な現象の連発に、「うーむ、よくもまあ、こんなことが現実に起こりうるものだ」、などと思う。

      めちゃくちゃ努力家で、ツアー中などでさえ、ホテル部屋では一人ダンスの猛練習をしていたそうですね…。

      久々に、マイケルのDVD『ライヴ・イン・ブカレスト』も見てみようかな。
      • 0
        • -
        • -
        • -

        Toshinose Days

        • 2010.12.28 Tuesday
        • 12:08
        最近、友人知人のblogなどをチェックさせて頂きましても…、皆さん、今年一年を振り返るような内容も多いですね。やはり、Nenmatsuだから。

        それを読ませて頂いていると、とてもホッコリする。

        皆さん、年の変わり目に一年を振り返り、過ぎゆく体験に学びや感謝を感じたり、新しい目標を決めたり…。

        私もだけど、皆、たいていは日々を前向きに生きつつも…、たまには真剣に悩んだり、たまには自分を見つめ直してみたり…。

        みんな同じだな、みんながんばれ、とか思いました。

        今年もお世話になりました。

        今年を振り返っても…、当たり前だけど、私は、全ての出会いや出来事に育てられているな、と思う。(好きな出来事にも、嫌いな出来事にも、どちらにも育てられている)。

        しかも、起こる出来事の全てに、自分の見方・感じ方が反映されてしまうから…、そういう意味でも、「全ては自分自身」。全ては、魂から自分へのメッセージ。全ては、天からの手紙。

        この“私”という存在は独立してはいなくて…、私が思ったり感じたりすることの全ては、与えられた出会いや出来事と不可分だし、生きている状況・時代・境遇などとも不可分。

        ん〜、相互リンク感覚。

        起こること全てが相互に影響を与え合い、お互いに、少しずつ「作り合っている」感じがするこの世界。

        この“私”という存在は…、他者や世界や、状況や本能や、宿命のような“大きな流れ”に「作られて」いるし…、

        しかし、今私が感じたり信じたり取り組んだりしていることも、いずれ、この世界の未来や流れに付け加えられる…。はず?

        自分、イコール、この世界の全て…。まるで鏡のような、不思議な感覚。

        人と人も、思うほど分離していなくて、魂や運命を、かなり共有している気もします。

        全てを自分が選んでいるような気もするし…、ところが、全ては必然的に導かれ、既に決まっているような気もします。

        ところで、全く関係ないけど…、

        今日の私は、ナゼカ栗山千明さんの『可能性ガール』という曲を、何度も口ずさんでしまっている。

        曲も歌詞もなかなか好きだな〜、と。

        風にまかせて自由に飛び出せるような…、心が何処かへ出発したくなるような…、広々とした気分になる曲だな〜、と。

        何となく、今日の私の気分にMatching…。
        • 0
          • -
          • -
          • -

          虫3

          • 2010.12.21 Tuesday
          • 11:13
          少しだけ前回記事の続きです。

          前回記事とは、少し話がズレるかもしれないが。

          いや〜、実は私、子供の頃から、マイマイカブリとかアリクイとかも怖い。(´Д`)

          アリの巣とかカタツムリの殻とか…、そういう、堅固な防衛力を誇る要塞に、長い舌だの顔だのを突っ込まれて…、ああああ、食われてしまうのだ〜!それが怖い。想像するだけで怖い。防ぎようが無いではないか?

          特にカタツムリなんて、逃げようったって敏捷性が乏しいので、マイマイカブリに見つかった時点でジ・エンドではないか?

          捕まってしまったら、あの尖った顔を突っ込まれて、ゆっくり少しずつ…、体を溶かされながら食べられてしまうのだ。

          (注・マイマイカブリは、カタツムリの殻に顔を突っ込み、消化唾液で肉を溶かしながら食べます。もちろん、生きたまま!)

          カタツムリ側から言わせてもらえば、抵抗も出来ない。

          苦痛の声もあげられない。

          誰も助けに来てくれない。

          意識があるまま、ゆっくり少しずつ、肉を引きちぎられ、溶かされながら食べられてしまうのだ。ウジュル、ウジュル…。

          (あるいは、カタツムリや昆虫って、あまり苦痛や悩みは感じないのだろうか?

          あるいは、もしかしたら…、マイマイカブリに自分の肉体を捧げることを、受け入れて納得していたりするのかもしれない。魂や本能の奥底では。宇宙の全ては繋がっているのならば…。)

          いずれにせよ、カタツムリには、自分の身体より数百倍は硬くて機敏なマイマイカブリから、逃れる手段はあるはずもない。

          ああああ、怖い怖い…。

          さて、私は今日の昼食、エスカルゴでも食べてみようかね。(嘘です)。
          • 0
            • -
            • -
            • -

            虫2

            • 2010.12.21 Tuesday
            • 11:10
            少し前の記事で、ヤスデや蜘蛛について書きました。

            今日はそれに続き、もう一つ、虫ネタを。

            今記事は、スズメバチの天敵について。

            最近スズメバチの天敵について知り、何となく鳥肌立ちましたが、そのことを書いてみたい。記述してみたい。

            さて、スズメバチは、言うまでもなく強力な戦闘力&毒針を持つ、実に危険人物なのだが。実に恐るべき、獰猛な戦闘集団なのだが。

            そんな無敵とも思えるスズメバチにも、たくさん天敵はいるようです。

            たとえば、コメツキムシッ!

            Wikipediaの説明文によれば、「朽木の中に越冬室を掘って冬眠中の女王蜂は、しばしばコメツキムシ科の甲虫の幼虫によって補食される」…、

            いやあ、名文ですね!?

            「しばしば補食される」なんて、何と渇いた文章だろう。

            私は、常日頃…、自分の中の、ほのかな感情・感覚・体感などを味わうことが、もはや癖というか、習慣になってしまっている。良くも悪くも、感情の振り幅が激しいし。

            しかし、このWikipediaの文章は、女王の生死に関わる重大事すら、何の感情もドラマも与えることなく、単なる“現象”として扱っているところが出色。冷静な観察眼。

            こういうクールな目線や感性も、心地良く感じます。自分とは異質ゆえに面白いし、尊敬すらします。(オレみたいに、いちいちウエットな地点に着地しない)。

            人それぞれ見ている世界・感じている世界が微妙に違って…、それが私は面白いし、心地良いとも感じます。

            (ちなみに、普段は感情過多な私ではありますが…、

            意外と私、あまり感情に流されたくない意識も、無くもないです。

            感情や思考や感覚も大事だろうけど、意外と、それらを眺めているだけのような(?)、中立的な目線を好む傾向もあります。

            すなわち、自分が何かを思ったり感じたりした瞬間…、『それらは全て、私の偏った主観的な視野であり、単なる一つの感じ方にしかすぎない。私が何を感じても何を考えても、それは普遍的真理でも何でもなく、単なる個人的な目線にすぎない』、みたいな認識も、常に持っていたい。

            変に自惚れたくない、とも言えるかもしれない。

            ただし、心が揺れ動かないわけではないし、欲求や感情を無視するわけでもなく。

            むしろ私は、過剰なほど感傷的・粘着質な部分がメインにありつつ…、なのですけど)。

            それは置いといて、いやあ、怖いねえ、コメツキムシ…。

            だって、快適な朽木の部屋でぬくぬく冬眠中、どこからか幼虫が侵入してきてバリバリ食われてしまうなんて…、そこらのホラー映画&スプラッター映画より、私は怖い。(^-^;

            ああああ…、私も部屋で寛いでいたら、いきなりデカイ幼虫が来て食われたらどうしよう?

            怖くて夜も眠れん。(嘘です)。
            • 0
              • -
              • -
              • -

              クラッときた

              • 2010.12.12 Sunday
              • 19:25
              今さらだけど、はじめて黒田硫黄さんの漫画を読んだ。

              セクシーボイスアンドロボ』。

              わー、なんだコレは!?ほとばしってるというか、溢れ出てるというか。凄まじい勢いとエネルギー。

              一見雑に書きなぐったような絵や、ぶっ飛んだ構図などに心を打たれる。

              彫りの深い、異様な彫刻や版画を見ている気にさえなる。

              今まで見た、他のあらゆる漫画・映画・音楽などに、似ている感触のものはあまり無い。

              わー、わー、

              すごいな、元気もらった。

              “生きる”ということや、世の中には色々な生き方があるということに対して…、非常に肯定的な目線・好奇心・エネルギーが溢れているような気もする。

              ぜひ、彼の他の作品も読んでみたいと思った。
              • 0
                • -
                • -
                • -

                蟷螂

                • 2010.12.10 Friday
                • 18:35
                Image408.jpg
                (先日見かけたカマキリ)

                カマキリを見た。

                スリムなモデル体型で小顔。

                生まれながら武装化された腕が、ジョジョのカーズ、もしくは“バオー・アームドフェノメノン”を思わせる。

                生きるために、他者を殺し続ける宿命。まあ、ほとんどの生物は同じ宿命か。我々人類も含めて。

                生きるための武器・機能を、生まれながら身体と本能に授かっているカマキリ。

                誰に教わらなくても、マニュアルなど無くても、生きる方法は魂が知っている。

                本能という名の知恵。欲求という名の啓示。

                そんなカマキリをじっと眺めていたら…、「この世界は“奇跡”と“神秘”ばかりで出来ているな」、などと、私は思ったことでした…。
                • 0
                  • -
                  • -
                  • -

                  子供の頃、“仮面ライダーアマゾン”の顔が怖かった…。子供のヒーローとは思えないほど、宿命的に哀しい異形の顔!

                  • 2010.12.09 Thursday
                  • 21:14
                  こんばんは。

                  今年も残りわずかですが、いかがお過ごしでしょうか。

                  最近の私は、とても充実している日々です。ありがたや…。

                  今日は、いくつかAmazonにCDをサックリ注文した。

                  ブラームス歌曲集、ヤナーチェク「グラゴル・ミサ」、The Bad Plus、MOUSE ON THE KEYS、Amanda Palmer、Queen Adreena、高橋優、小林太郎…、あたりのバンドやアーチストのCDを。

                  クラシック以外は、今まで動画サイトなどで試聴していて、割と惹かれていたアーチスト達。

                  廃盤になってしまっているCDは、中古で。頼りになります、Amazon!

                  最近、なぜか「重厚」な音楽に惹かれます。

                  あるいは、ちょっと汚いノイジーな響きでも…、歌手や奏者の魂を真っ直ぐに叫び、裸の心を全てぶつけてくるような「実直さ」とか…。

                  だから、時には…、汚い不道徳なことを歌うパンクロックとかでも、エネルギー的には、「実直で素直でピュア」と感じる場合もある。

                  あるいは、例えばショパンやシューベルトみたいな、切ない繊細なメロディーなのに、非常に「実直!」「強い!」などと感じることも多い。

                  多分、それらは…、作曲者(歌手)の魂や人生体験が、ダイレクトに音になって迫ってくるのだろうな、と思う。

                  注文したCDも楽しみです。動画サイトではなく、CDで聴いたら、また印象や感想は変わるかもしれないですけどね。

                  なぜか、今月は日記多め…。
                  • 0
                    • -
                    • -
                    • -

                    あくまで都市伝説的な作り話だと思いますけど…

                    • 2010.12.07 Tuesday
                    • 19:42
                    先日、知人から聞いた話。

                    学問の神様をまつっているという湯島天神…、

                    その神社の息子さん、何度も大学受験に失敗し、三浪くらいしたらしい。(笑)

                    ワラータ。
                    • 0
                      • -
                      • -
                      • -

                      archives

                      profile

                      search this site.

                      PR

                      calendar

                      S M T W T F S
                         1234
                      567891011
                      12131415161718
                      19202122232425
                      262728293031 
                      << December 2010 >>

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM