2010.9.26
- 2010.09.27 Monday
- 21:17
(ライブハウスの入口。“ホットドック男”!?)
昨日はヒサビサ、ピアノ弾くお仕事でした。静岡県は富士にお邪魔して。
共演は、山下TOPO洋平(ケーナ・サンポーニャ)、栗山豊二さん(パーカッション)、古庄由喜子さん(オカリナ)、下山英二さん(キーボード)。そして、私はピアノでした。
楽しく心地良い時間でした。
主催の古庄さん、そして、愉快で素敵な共演者たちに感謝。それぞれの音はもちろん、お互いにオープンで自然な雰囲気も心地良いものだ。(もちろんスタッフの皆様や、来て下さったお客様にも感謝)。
ところで、プログラム最後の曲。客席の後ろのほうで…、古庄さんの娘さん(中学生)とその友達が、曲に合わせてクルクル踊っていた。
二人で、クルクルクルクル。ライブ中に、私達の音楽に合わせて踊っていた。
めちゃ可愛かった!ダンス上手いし。ピアノ弾きつつ二人のダンスを見ていたら、なんか、ウルッときた。(^-^;
「最近の中学生は、音楽に合わせてダンスを踊れるのか?凄いな!」と、カナリびびったけれども…、
あとで聞いたら、二人とも、幼少の頃からダンスを習っていたとのこと。
ですよね…、何の素養も経験も無く、あんなに踊れるはずないスね。
さて、皆で夕食会というか、打ち上げの後…、栗山Carで東京まで送っていただいたのだけど。
途中で寄ったサービスエリアが、なんだか不思議な空間でした!
足柄あたりの、山の上にあるサービスエリア。
山の上なので、周りには街の明かりが無い。周囲は真っ暗だ。(真冬の晴れた夜などは、星が良く見えるサービスエリアらしい。昨日は、小雨でしたけど)。
暗い、霧のような雨の中…、サービスエリアに着いてまず驚いたのは、駐車場が、やたらトラックばかりだったこと!(いつもこうなのか?昨日だけ、たまたまトラックが多かったのか?)
めちゃくちゃ幻想的な光景!ひそかに、超ワクワクした。( ̄▽ ̄;)
10台や20台でなく、「見渡す限りトラック!」、という感じ。
ほとんどのトラックの運転席は明かりがついていない。運転席は無人なのか?仮眠中なのか?
人の気配も少ない薄闇の中、巨大なトラックが無機的にボーッと並んでいる風景は…、なんだか、トラックの墓場みたいだった。
あるいは…、例えば海豹やトドが並んで眠っているような光景も連想してしまった。
Beksinskiの絵画の雰囲気に、少し似ているような気もしたし。巨大なモアイ像がたくさん並んでいるような、不思議な静けさと崇高さも感じてしまった。(^-^;
幻想的なマボロシみたいで、実に魅惑的な瞬間でした。
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近況と言えば近況
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:29
今日は、なぜか無性に文章を書きたい気分でした。書くこと自体、やはり愉しい。
今、blog更新しまくりました。鬼のようにたくさん。ツイッタばりの勢いで。
そんな気分の日も、たまにはある。まあ、これも“流れ”ってやつかな?
今、blog更新しまくりました。鬼のようにたくさん。ツイッタばりの勢いで。
そんな気分の日も、たまにはある。まあ、これも“流れ”ってやつかな?
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ロマンティックああ無情
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:27
何十年も前にドキュメンタリー番組で見た、チベットの少女が激しく記憶に残っているのだ。
12歳くらいの少女だったと思う。
両親は出稼ぎに出ていたのか、幼い弟と二人、家事をしたり、水くみをしたり、羊かヤクを放牧したり…、素朴だが、逞しく健気に日々を生きていた。
ある日、幼い弟が風邪になり、熱が出て、かいがいしく少女は看病していたのだが…、
熱で寝ている弟に、少女は、「起きなさい、寝てばかりいると死んでしまうわよ」と言った。
衝撃的だった。参った。
“人間”という存在の哀しさを見せつけられた気がして、無になりたい、と思った。
私も日々、無知ゆえに、無自覚のまま、人の健康や心や精神に悪いことばかり、言ったり考えたりしてしまっているのではないか?
多くの人は、愛や幸せや、平和や健康を渇望しているのに…、なぜ無自覚に、そこから離れてしまうのだろう。
ブラウン管の向こうにいる、健気なチベットの少女を見ながら…、当時の私は、ユゴーの『ああ無常(レ・ミゼラブル)』を思い出していた。
主人公ジャン・バルジャンが、そのつもりもないのに、(無自覚のまま)、見知らぬ少年のなけなしのコインを盗んでしまうエピソードを思い出した。
人間とは、こんな悲しい存在なのか?
私も、誰でも…、知らず知らずのうちに、チベットの少女やジャン・バルジャンみたいに、誰かや自分自身の心身を傷つけ、踏みにじっている可能性が無いとは言えない。
「良かれ」と思って、愛や正義や優しさに満ちたことを言ったつもりでも…、人のために良いアドバイスをしたつもりでも…、建設的で博愛的で前向きな考え方をしたつもりでも…、実は、大いに見当外れ・独善かもしれないのだ。私達の多くは、多分、自分の尺度でしか物事を見れていないから。
12歳くらいの少女だったと思う。
両親は出稼ぎに出ていたのか、幼い弟と二人、家事をしたり、水くみをしたり、羊かヤクを放牧したり…、素朴だが、逞しく健気に日々を生きていた。
ある日、幼い弟が風邪になり、熱が出て、かいがいしく少女は看病していたのだが…、
熱で寝ている弟に、少女は、「起きなさい、寝てばかりいると死んでしまうわよ」と言った。
衝撃的だった。参った。
“人間”という存在の哀しさを見せつけられた気がして、無になりたい、と思った。
こんなことなら、私は何も言いたくないし何も思い付きたくない、と思った。
我々の常識では、風邪の時は、無理せず暖かくして寝たほうが快方に向かうということを知っているけれど。
少女は知識も乏しく、迷信や盲信や固定概念で、かえって風邪を悪化させるようなことばかり言っていました。
私には、これが激しく記憶に残っている。番組を見ていて、飛んでいって、幼い姉と弟を抱きしめたくなった。
☆
なぜ人は、こんなにも無知で、的外れなのだろう?
なぜ人は、こんなにも固定概念やイメージだけで、物事を決めつけてしまうのだろう?(自分の間違った考えや直感を、安々と盲信してしまうというか…)。
いやいや、このチベットの少女だけではなく。
私もですし、人間の大部分。
偉そうに、私には知識や智恵があるなんて言えない。我々の常識や判断や、直感や価値観のどれも、正しいなんて言えない。
我々の常識では、風邪の時は、無理せず暖かくして寝たほうが快方に向かうということを知っているけれど。
少女は知識も乏しく、迷信や盲信や固定概念で、かえって風邪を悪化させるようなことばかり言っていました。
私には、これが激しく記憶に残っている。番組を見ていて、飛んでいって、幼い姉と弟を抱きしめたくなった。
☆
なぜ人は、こんなにも無知で、的外れなのだろう?
なぜ人は、こんなにも固定概念やイメージだけで、物事を決めつけてしまうのだろう?(自分の間違った考えや直感を、安々と盲信してしまうというか…)。
いやいや、このチベットの少女だけではなく。
私もですし、人間の大部分。
偉そうに、私には知識や智恵があるなんて言えない。我々の常識や判断や、直感や価値観のどれも、正しいなんて言えない。
私も日々、無知ゆえに、無自覚のまま、人の健康や心や精神に悪いことばかり、言ったり考えたりしてしまっているのではないか?
多くの人は、愛や幸せや、平和や健康を渇望しているのに…、なぜ無自覚に、そこから離れてしまうのだろう。
ブラウン管の向こうにいる、健気なチベットの少女を見ながら…、当時の私は、ユゴーの『ああ無常(レ・ミゼラブル)』を思い出していた。
主人公ジャン・バルジャンが、そのつもりもないのに、(無自覚のまま)、見知らぬ少年のなけなしのコインを盗んでしまうエピソードを思い出した。
人間とは、こんな悲しい存在なのか?
私も、誰でも…、知らず知らずのうちに、チベットの少女やジャン・バルジャンみたいに、誰かや自分自身の心身を傷つけ、踏みにじっている可能性が無いとは言えない。
「良かれ」と思って、愛や正義や優しさに満ちたことを言ったつもりでも…、人のために良いアドバイスをしたつもりでも…、建設的で博愛的で前向きな考え方をしたつもりでも…、実は、大いに見当外れ・独善かもしれないのだ。私達の多くは、多分、自分の尺度でしか物事を見れていないから。
☆
でも、だからって、「人には生きる価値が無い」ではなく。
私は、無知で独善的な人間の性質を謙虚に認めることで、自分自身やお互いを許しあい、認めあい、軽く笑い飛ばすことも可能になるような気もしています。
自分自身の中の無知を認めてはじめて、安らぎや許しや、救いや光を感じられるようなところがある。私には。
もし、ムカつく奴とか自惚れている奴とかがいても…、その人の無知や独善や愚かさも、五十歩百歩、自分も似たような者。もちろんハラは立つけど、たいてい、「ああ自分も似てるな」と感じる。(人類全体に共通する無知)。
でも、だからって、「人には生きる価値が無い」ではなく。
私は、無知で独善的な人間の性質を謙虚に認めることで、自分自身やお互いを許しあい、認めあい、軽く笑い飛ばすことも可能になるような気もしています。
自分自身の中の無知を認めてはじめて、安らぎや許しや、救いや光を感じられるようなところがある。私には。
もし、ムカつく奴とか自惚れている奴とかがいても…、その人の無知や独善や愚かさも、五十歩百歩、自分も似たような者。もちろんハラは立つけど、たいてい、「ああ自分も似てるな」と感じる。(人類全体に共通する無知)。
☆
ところで、ポジティブに生きることや、自分に自信を持つことって、本当に大切なことだろうか?と、たまに思う。
自分を盲信してしまうことは、逆に、短絡的でネガティブとは言えないか?
むしろ、現在の自分や、現代社会の常識・科学・思想・価値観などに疑問や反省も持ってこそ、新しい扉が開かれる場合もあるのではないか?
ところで、ポジティブに生きることや、自分に自信を持つことって、本当に大切なことだろうか?と、たまに思う。
自分を盲信してしまうことは、逆に、短絡的でネガティブとは言えないか?
むしろ、現在の自分や、現代社会の常識・科学・思想・価値観などに疑問や反省も持ってこそ、新しい扉が開かれる場合もあるのではないか?
☆
まあ…、私は基本的には、気楽にヘラヘラ生きることが好きだけれども。
生きるうえで、“自信”や“前向きさ”、たしかに大切かもしれないが、
でも、全くブレない自信満々の人って、時に、怖い場合もある。
「自分は正しい」という前提でズバズバ発言する人や、自分の価値観・正義感・道徳観・博愛精神などに何の疑問も持っていない人は…、カリスマ的で魅力的と言えるかもしれないけど、時に、見当外れで怖いとも言える。(排他的とも言える)。
まあ…、私は基本的には、気楽にヘラヘラ生きることが好きだけれども。
生きるうえで、“自信”や“前向きさ”、たしかに大切かもしれないが、
でも、全くブレない自信満々の人って、時に、怖い場合もある。
「自分は正しい」という前提でズバズバ発言する人や、自分の価値観・正義感・道徳観・博愛精神などに何の疑問も持っていない人は…、カリスマ的で魅力的と言えるかもしれないけど、時に、見当外れで怖いとも言える。(排他的とも言える)。
☆
なーんて言いつつ…、
先日、テレビ・バラエティー番組でTOKIOや藤本美貴さんを見て、皆さん自由で、自信満々にズバズバ発言していて…、
特にミキティなんか、衝動的にプンプン怒ったり、ケラケラ笑ったり、文句言ったり、ワガママ言ったり、のろけたり、甘えたり…、自分の発言を省みたりしない自由な空気を醸し出していて、奔放で天真爛漫で、「ああ魅力的だな、カワイイな」、と思ったのだ。
台本かもしれないし、テレビ向けの演技かもしれないけど。
TOKIOもミキティも、皆さんメチャクチャ魅力的で、癒されました。惹かれました。私、惹かれモードでした。
いや、「浮かれモード」だったか。彼女の曲は。(´Д`)
TOKIOもミキティも、顔がカワイイからそう感じたわけではないです。
ちょっとした身勝手やワガママ自体が、とてもカワイイと感じたのだ。なんか、ナチュラルで人間らしくて。
私は、「多少のワガママや無害な自己中なら、人を癒したりリラックスさせたりするのだな〜」、などと感じました。
私は、自己中でワガママな人、割と好きなのです。(もちろん、程度問題ですが)。
なーんて言いつつ…、
先日、テレビ・バラエティー番組でTOKIOや藤本美貴さんを見て、皆さん自由で、自信満々にズバズバ発言していて…、
特にミキティなんか、衝動的にプンプン怒ったり、ケラケラ笑ったり、文句言ったり、ワガママ言ったり、のろけたり、甘えたり…、自分の発言を省みたりしない自由な空気を醸し出していて、奔放で天真爛漫で、「ああ魅力的だな、カワイイな」、と思ったのだ。
台本かもしれないし、テレビ向けの演技かもしれないけど。
TOKIOもミキティも、皆さんメチャクチャ魅力的で、癒されました。惹かれました。私、惹かれモードでした。
いや、「浮かれモード」だったか。彼女の曲は。(´Д`)
TOKIOもミキティも、顔がカワイイからそう感じたわけではないです。
ちょっとした身勝手やワガママ自体が、とてもカワイイと感じたのだ。なんか、ナチュラルで人間らしくて。
私は、「多少のワガママや無害な自己中なら、人を癒したりリラックスさせたりするのだな〜」、などと感じました。
私は、自己中でワガママな人、割と好きなのです。(もちろん、程度問題ですが)。
☆
かく言う私も…、日々、基本的には、身勝手かつ気軽に、言いたいことを言い、やりたいことをやっている気がします。あまり深い考えも無しに。(それゆえ、自らの愚行・失言の数々に、大いに反省や後悔をすることも多いけど)。
しかし同時に、私は常に心のどこかで、
かく言う私も…、日々、基本的には、身勝手かつ気軽に、言いたいことを言い、やりたいことをやっている気がします。あまり深い考えも無しに。(それゆえ、自らの愚行・失言の数々に、大いに反省や後悔をすることも多いけど)。
しかし同時に、私は常に心のどこかで、
「私の言動は見当外れで、人や自分を傷つけている危険性が常にある」、
「私が良かれと思うこと・正しいと感じること、利他的で博愛的なことを考えているつもりの時さえも、私は無知ゆえに、見当外れの可能性は常にある」、
などと、常に心のどこかで思っています。
☆
ふとチベットの番組のことを思い出し、最近、そんなことを思っていました。
今後また、考え方・感じ方はコロコロ変わるかもしれないけど。
チベットの幼い姉と弟、今は30歳くらいだろうか?もう、立派な大人だと思う。
いつ頃に見た番組かは失念しましたが、私、高校生くらいだったかもしれません。
一生会うことも無いであろうチベットの姉と弟…、願わくば、健康で幸福でありますように、と思う。
…なんか、上から目線だな。(^-^;
私などが心配しなくても、きっと彼らは逞しく生きていると思う。
むしろ、自分(私)のほうこそどうなの?とも思う。( ̄▽ ̄;)
P.S.
ミキティの『ロマンティック浮かれモード』ですが…、サビ直前の振り付けが、ヒーロー戦隊ものの変身シーンみたいで…。当時、歌番組を見つつ、ワラタ。記憶に残っております。
ウキウキはずむ感じのAメロと、キラキラ広がる感じのサビ。その音楽的な対比も見事で、なかなか名曲だなあと思います。(作詞作曲・つんくさん)。
私、この曲、そんなにたくさん聴いていないはずなのに…。今でもほぼ完璧に覚えている。歌詞はほとんど覚えていないけど、異常に記憶に残るメロディー!つんく恐るべし!
ふとチベットの番組のことを思い出し、最近、そんなことを思っていました。
今後また、考え方・感じ方はコロコロ変わるかもしれないけど。
チベットの幼い姉と弟、今は30歳くらいだろうか?もう、立派な大人だと思う。
いつ頃に見た番組かは失念しましたが、私、高校生くらいだったかもしれません。
一生会うことも無いであろうチベットの姉と弟…、願わくば、健康で幸福でありますように、と思う。
…なんか、上から目線だな。(^-^;
私などが心配しなくても、きっと彼らは逞しく生きていると思う。
むしろ、自分(私)のほうこそどうなの?とも思う。( ̄▽ ̄;)
P.S.
ミキティの『ロマンティック浮かれモード』ですが…、サビ直前の振り付けが、ヒーロー戦隊ものの変身シーンみたいで…。当時、歌番組を見つつ、ワラタ。記憶に残っております。
ウキウキはずむ感じのAメロと、キラキラ広がる感じのサビ。その音楽的な対比も見事で、なかなか名曲だなあと思います。(作詞作曲・つんくさん)。
私、この曲、そんなにたくさん聴いていないはずなのに…。今でもほぼ完璧に覚えている。歌詞はほとんど覚えていないけど、異常に記憶に残るメロディー!つんく恐るべし!
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「トゥートゥートゥー」
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:22
旧ヴログでも書いた気もしますガ。
宮崎あおいさんが歌う、“earth music&ecology”のテレビCM、とても好きです。
最近の新しいバージョンも良いなあ。
YouTubeで見まくりよ。(「ロバ」篇と「木のぼり」篇の、30秒バージョン)。
泣けてくる。歌い方も、曲も歌詞も好きです。
ちなみに、ブルーハーツの『情熱の薔薇』という曲ですね。
このCMの前バージョン、(「ヒマラヤほど〜の〜、消しゴムひと〜つ〜」という歌詞の、『1001のバイオリン』という曲)、あれも、曲も歌詞も大好きに決まっている!
それで、今日、久々にブルーハーツのCDを聴いてみました。
やはり、好きですね。
ほんと、“ヒマラヤほどの消しゴム”で、過去の自分なんか消したい。
世界中の苦しみや悲しみ、全て消したい。ヒマラヤほどの消しゴムさえあれば…。
“ミサイルほどのペンを片手”に、新しくて面白い希望や未来を、自由に描きたい。
「揺り篭から墓場まで、馬鹿野郎がついて回る」という歌詞にはドキッとさせられる。
その、一生ついて回る“馬鹿野郎”とは、間違いなく自分自身のことだ。(と、私は勝手に解釈している)。
この詩人の歌う歌詞は、はじめて聴いた時、本当に衝撃的だった。
純粋で、ストレートで、本能的で、粗削りで、しかも知的でもあり、欲望も汚い部分もさらけ出している。
一見不良っぽいロックバンドなのに、「キリストを殺したのは、僕の罪のせいだ」とか歌っていて…、一体どういう感性の人なのだろう?と思った記憶もある。
はじめて聴いたのは高校生頃だと思うけど、その頃、とても共感していた歌詞は…、
「神様にワイロを贈り、天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?」、「どこでもいつも誰とでも、笑顔でなんかいられない」、「ナイフをつきつけられても、原爆つきつけられても、クソッタレって言ってやる」、あたりですね。(笑)
宮崎あおいさんが歌う、“earth music&ecology”のテレビCM、とても好きです。
最近の新しいバージョンも良いなあ。
YouTubeで見まくりよ。(「ロバ」篇と「木のぼり」篇の、30秒バージョン)。
泣けてくる。歌い方も、曲も歌詞も好きです。
ちなみに、ブルーハーツの『情熱の薔薇』という曲ですね。
このCMの前バージョン、(「ヒマラヤほど〜の〜、消しゴムひと〜つ〜」という歌詞の、『1001のバイオリン』という曲)、あれも、曲も歌詞も大好きに決まっている!
それで、今日、久々にブルーハーツのCDを聴いてみました。
やはり、好きですね。
ほんと、“ヒマラヤほどの消しゴム”で、過去の自分なんか消したい。
世界中の苦しみや悲しみ、全て消したい。ヒマラヤほどの消しゴムさえあれば…。
“ミサイルほどのペンを片手”に、新しくて面白い希望や未来を、自由に描きたい。
「揺り篭から墓場まで、馬鹿野郎がついて回る」という歌詞にはドキッとさせられる。
その、一生ついて回る“馬鹿野郎”とは、間違いなく自分自身のことだ。(と、私は勝手に解釈している)。
この詩人の歌う歌詞は、はじめて聴いた時、本当に衝撃的だった。
純粋で、ストレートで、本能的で、粗削りで、しかも知的でもあり、欲望も汚い部分もさらけ出している。
一見不良っぽいロックバンドなのに、「キリストを殺したのは、僕の罪のせいだ」とか歌っていて…、一体どういう感性の人なのだろう?と思った記憶もある。
はじめて聴いたのは高校生頃だと思うけど、その頃、とても共感していた歌詞は…、
「神様にワイロを贈り、天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか?」、「どこでもいつも誰とでも、笑顔でなんかいられない」、「ナイフをつきつけられても、原爆つきつけられても、クソッタレって言ってやる」、あたりですね。(笑)
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今日はダラダラDay、略して“DDD”!
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:19
なんか今日は、一日ダラダラ際限なく文章書いたり、本読んだり、音楽聴いたり、ボウッとしたり、昼寝したり、テレビジョン見たりしていた。
夜からは、Alcohol飲みつつ。こんな日も、また愉しからずや…。
さっき、ドラマ『10年先も君に恋して』、何となく見ました。
上戸彩さんの、たまに外人っぽい喋り方やイントネーション、以前から気になる〜!(´Д`)
(演技なの?無意識的な癖なの?)
それにしても、ドラマの盛り上がりでCrystal Kayさんが歌う挿入歌(バラード)、超好みだ!めちゃイイわ〜!
エンディングの歌も、リズミカルで好みでした。オクターブのユニゾンにゾワッと来た。カッコイイ!
しかし、どちらの曲も、YouTubeで探したら…、無い!無い!無かった!
無!無!無!無!
“無”だァッ!
ちなみにCrystal Kayさんは、私、ビタミンウォーターのCMの頃から好きなのです。
(↑菅野よう子さん作曲、菅野美穂さん主演のCM。歌を、Crystal Kayさんが歌っている。
アルプスの麓の草原で、美穂さんが夕立に降られる…、超名作CMです。私、大好きなCM。
雨のニオイが伝わってきそうな映像美と詩情、菅野さん作曲の素晴らしさ。
もしご興味ある方は、YouTubeで探してみて下さい。
“ビタミンウォーター”とか“菅野よう子”とか検索すればあると思うけど…、他のビタミンウォーターのCMと一緒で、単独では無いかもデス)。
Crystal Kayさんは、歌声が器楽的というか、クールで金属的な独特の声、キレイだなと感じます。
P.S.
上戸彩さんと言えば…、
SMAPの携帯電話のCMで、中居君が“上戸彩”と“綾戸智絵”を間違えるシーン、めちゃくちゃ笑った!
確かに語感は似てる!
こちらのCMも、もしご興味ある方は、YouTu(以下、省略)。
“SMAP ソフトバンク”とか検索すれば一発じゃないかな!?
夜からは、Alcohol飲みつつ。こんな日も、また愉しからずや…。
さっき、ドラマ『10年先も君に恋して』、何となく見ました。
上戸彩さんの、たまに外人っぽい喋り方やイントネーション、以前から気になる〜!(´Д`)
(演技なの?無意識的な癖なの?)
それにしても、ドラマの盛り上がりでCrystal Kayさんが歌う挿入歌(バラード)、超好みだ!めちゃイイわ〜!
エンディングの歌も、リズミカルで好みでした。オクターブのユニゾンにゾワッと来た。カッコイイ!
しかし、どちらの曲も、YouTubeで探したら…、無い!無い!無かった!
無!無!無!無!
“無”だァッ!
ちなみにCrystal Kayさんは、私、ビタミンウォーターのCMの頃から好きなのです。
(↑菅野よう子さん作曲、菅野美穂さん主演のCM。歌を、Crystal Kayさんが歌っている。
アルプスの麓の草原で、美穂さんが夕立に降られる…、超名作CMです。私、大好きなCM。
雨のニオイが伝わってきそうな映像美と詩情、菅野さん作曲の素晴らしさ。
もしご興味ある方は、YouTubeで探してみて下さい。
“ビタミンウォーター”とか“菅野よう子”とか検索すればあると思うけど…、他のビタミンウォーターのCMと一緒で、単独では無いかもデス)。
Crystal Kayさんは、歌声が器楽的というか、クールで金属的な独特の声、キレイだなと感じます。
P.S.
上戸彩さんと言えば…、
SMAPの携帯電話のCMで、中居君が“上戸彩”と“綾戸智絵”を間違えるシーン、めちゃくちゃ笑った!
確かに語感は似てる!
こちらのCMも、もしご興味ある方は、YouTu(以下、省略)。
“SMAP ソフトバンク”とか検索すれば一発じゃないかな!?
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これも孤独系か?
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:17
先日、とある合唱団で、山下達郎さんの『いつか晴れた日に』やってみた。
合唱で歌われることは、まず無い曲。
しかも、数回だけ練習して、11月頭には発表しなければならない。
む…、無謀なチャレンジャー企画か?!
ところで私、この曲の空気感、大好きなのです!
孤独…。やや闇…。内省的で瞑想的だけど、でも、ちゃんと希望や光のほうも見ている。抑制的で、ほのか。感情過多になりすぎないからこそ、胸の奥底にある感情や感覚が、私にはヒシヒシと感じられる。
ああああ、すげぇ好きな歌!これまたサイコー。イエーア!
しかし合唱団の生徒達さん、リズムが把握できず、スムーズに歌えない模様。うーむ、リズムは割と平易だと思うのだけどな…。(まあ、そのうち慣れて下さるだろう)。
その日の指導は、仕方ないので、弾き歌い状態で私一人でガンガン何度も歌ってきました。フハハハ。( ̄▽ ̄;)
私は、達郎さんみたいに上手くは全然歌えないですけどね〜。
合唱で歌われることは、まず無い曲。
しかも、数回だけ練習して、11月頭には発表しなければならない。
む…、無謀なチャレンジャー企画か?!
ところで私、この曲の空気感、大好きなのです!
孤独…。やや闇…。内省的で瞑想的だけど、でも、ちゃんと希望や光のほうも見ている。抑制的で、ほのか。感情過多になりすぎないからこそ、胸の奥底にある感情や感覚が、私にはヒシヒシと感じられる。
ああああ、すげぇ好きな歌!これまたサイコー。イエーア!
しかし合唱団の生徒達さん、リズムが把握できず、スムーズに歌えない模様。うーむ、リズムは割と平易だと思うのだけどな…。(まあ、そのうち慣れて下さるだろう)。
その日の指導は、仕方ないので、弾き歌い状態で私一人でガンガン何度も歌ってきました。フハハハ。( ̄▽ ̄;)
私は、達郎さんみたいに上手くは全然歌えないですけどね〜。
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「鷹のようなこの心」
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:15
先日、とある合唱団で『テルーの唄』やってみた。意外と、この曲を指揮するのは初めてです。
うおッ?!
つ…、つおおッ?!
ジーンとくるにもほどがある名曲と感じた。そして、歌の世界観に深く共感もした。歌詞サイコー。イエア〜!
指揮しながら泣けそうだた。
なので、私はその日を“テルー記念日”と名付けた。(←嘘です)
うおッ?!
つ…、つおおッ?!
ジーンとくるにもほどがある名曲と感じた。そして、歌の世界観に深く共感もした。歌詞サイコー。イエア〜!
指揮しながら泣けそうだた。
なので、私はその日を“テルー記念日”と名付けた。(←嘘です)
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「カーテンあけた夜」
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:10
先日。
何となく寝たくないような夜に、スガシカオさん聴いていました。( ̄▽ ̄;)
「本当は僕だって誰かを笑顔にしてみたりしたい」、「本当の僕はきっと、こんな奴じゃないはず。そう叫ぶ僕は間違いなくそうゆう奴」
…などと歌う、スガシカオさん作詞作曲『サヨナラホームラン』とか。
でも、それって残酷なことに感じてしまう。
こんなふうに考える私の目線が残酷なのか、この世の中自体が残酷に出来ているのかは、分からないが。
100人のうち1人だけが大称賛を受けるのでなく、「100人全員スバラシイ」では、ダメなのか?(もしくは、「誰も際立って素晴らしくはない」)。
もちろん一人一人、役割や人格の違いはあるだろう。
生まれる時に授かった個性の違いや能力の差は、絶対あるだろうけど…、
しかし、神様や宇宙に尋ねたくなる。
なぜ世の中には成功と失敗があって、好かれる人と好かれない人がいて、生まれつき美醜があって、報われる努力と報われない努力があって、不公平で…、そしてなぜ、世の中には、「不幸」とか「残酷」としか思えないような境遇や病気や不具があるのか?
(美醜や幸・不幸などを勝手に判断しているのは、私の狭い目線や価値観だけど。私はおそらく、短絡的・一面的な見方しか出来ていないけれど)。
多くの矛盾、多くの葛藤や疑問、多くの願いや祈りや未熟さを抱えて、人生という旅は続く…。
しかし、未熟なのは当たり前だし、葛藤や疑問も大歓迎とも感じます!
やるせない想いや葛藤や疑問、無知で無力で利己的であることの哀しさ…、自分自身や人や天への問いかけ・祈り・願い…、心の中に渦巻く、自己中心的な夢・希望・愛・欲望・不満・えり好み…、
などなどに満ち溢れているからこそ、私は音楽をやりたいとも感じるのだと思う。多分。(音楽に救われたいという気持ちも、あるかもしれない)。
「いっそ無になりたい」などと思っていた時期もあったけど、今は、そうは感じていない。
内面に渦巻く数多くの疑問や祈り、願いや欲望…、それらを、自分なりに精一杯歌ったり、奏でたり、言葉や行動に移したり、味わったりしていたい。
そうやって、いつも心は揺れ動きつつ…、しかし同時に、自分も人も世界も少しずつ変化していく流れを…、穏やかに静かに眺めてもいたい。
何となく寝たくないような夜に、スガシカオさん聴いていました。( ̄▽ ̄;)
「本当は僕だって誰かを笑顔にしてみたりしたい」、「本当の僕はきっと、こんな奴じゃないはず。そう叫ぶ僕は間違いなくそうゆう奴」
…などと歌う、スガシカオさん作詞作曲『サヨナラホームラン』とか。
あと、『コノユビトマレ』とか。(←PVも超最高!)
どちらも好きな歌です!しみる、しみるよ。(ノ_・。)
どちらも好きな歌です!しみる、しみるよ。(ノ_・。)
☆
『サヨナラホームラン』は、歌詞の中の“僕”に共感します。
自己嫌悪、自己否定、現状否定の三拍子。(笑)
でも、単に否定的で愚痴っているだけでなく。
明日を目指す気持ちやモチベーションも…、胸の奥に「くすぶっている」。夜の孤独感の中に。
私はこの歌、この「くすぶっている」感じが、とても好きかも!(^O^)/
『サヨナラホームラン』は、歌詞の中の“僕”に共感します。
自己嫌悪、自己否定、現状否定の三拍子。(笑)
でも、単に否定的で愚痴っているだけでなく。
明日を目指す気持ちやモチベーションも…、胸の奥に「くすぶっている」。夜の孤独感の中に。
私はこの歌、この「くすぶっている」感じが、とても好きかも!(^O^)/
☆
実は私、こういう悶々した感じの日々…、不思議と気分は悪くない。
少なくとも、不満足な現状に気づかないフリして、演技的に明るく振る舞うよりも。悶々としたりギラギラしているほうが、私はずっと好ましいです。
もちろん、悶々として人に八つ当たりとかは嫌だけど。
薄っぺらな、形だけの楽しい日々を過ごすより。私は、しょーもない自分や不満足な現状を認めて、次に向かうエネルギーや渇望を感じているほうが、ずっと心地良いです。
実は私、こういう悶々した感じの日々…、不思議と気分は悪くない。
少なくとも、不満足な現状に気づかないフリして、演技的に明るく振る舞うよりも。悶々としたりギラギラしているほうが、私はずっと好ましいです。
もちろん、悶々として人に八つ当たりとかは嫌だけど。
薄っぺらな、形だけの楽しい日々を過ごすより。私は、しょーもない自分や不満足な現状を認めて、次に向かうエネルギーや渇望を感じているほうが、ずっと心地良いです。
☆
さて、さっきの歌詞のように…、
私も含めて多くの人は、多分、「誰かを笑顔にしたい」とか、素晴らしい仕事をして、「人の役に立ちたい」とか、「充実して生きたい」などと思っているのではないか?(私だけか?)
「人に尽くしたい」という想いと、「素晴らしい自分でありたい」という想い。一見逆だけど、どちらも最高の贅沢だと感じます。
どちらも、とても崇高で自然な欲求とも言えるし、どちらも、最高にワガママな欲望とも言える。
さて、さっきの歌詞のように…、
私も含めて多くの人は、多分、「誰かを笑顔にしたい」とか、素晴らしい仕事をして、「人の役に立ちたい」とか、「充実して生きたい」などと思っているのではないか?(私だけか?)
「人に尽くしたい」という想いと、「素晴らしい自分でありたい」という想い。一見逆だけど、どちらも最高の贅沢だと感じます。
どちらも、とても崇高で自然な欲求とも言えるし、どちらも、最高にワガママな欲望とも言える。
☆
意外と、“笑顔にされる”側のほうの人間こそ、実は、人に尽くしているのかもしれない、と思います。
要は、“成功者”になりたい人の夢を、叶えてあげているのだから。(「人に尽くしたい」という夢を、“尽くされる側”のほうの人達が、叶えてあげている)。
でも、どちらの側も、実は同じことなのだ、と思う。
その瞬間・タイミングで、たまたまそういう役まわりになっただけ。
どんな役まわりであろうが、何を成し遂げていようがいまいが、人に尽くすことが多かろうが少なかろうが…、人の価値に差は無い気がします。
意外と、“笑顔にされる”側のほうの人間こそ、実は、人に尽くしているのかもしれない、と思います。
要は、“成功者”になりたい人の夢を、叶えてあげているのだから。(「人に尽くしたい」という夢を、“尽くされる側”のほうの人達が、叶えてあげている)。
でも、どちらの側も、実は同じことなのだ、と思う。
その瞬間・タイミングで、たまたまそういう役まわりになっただけ。
どんな役まわりであろうが、何を成し遂げていようがいまいが、人に尽くすことが多かろうが少なかろうが…、人の価値に差は無い気がします。
☆
“夢や成功を追い求めること”は、生きていれば当然だし、自然だと思うけど…、
1人の成功や美しさのためには、99人の失敗や醜さが必要なことが、時々、私は心苦しく感じられる。
1人の才能者や、1人の勝利者や、1人の信仰深い人や、1人のセレブや、1人の博愛的な人や、1人の献身的な人や、1人の尊敬される人が存在するためには…、99人の愚か者や普通の人、もしくは貧しい人や、敗者・弱者・無能者が大量に必要である。スターやセレブや、マスターやカリスマを存在させるためには。
1人の才能者や、1人の勝利者や、1人の信仰深い人や、1人のセレブや、1人の博愛的な人や、1人の献身的な人や、1人の尊敬される人が存在するためには…、99人の愚か者や普通の人、もしくは貧しい人や、敗者・弱者・無能者が大量に必要である。スターやセレブや、マスターやカリスマを存在させるためには。
でも、それって残酷なことに感じてしまう。
こんなふうに考える私の目線が残酷なのか、この世の中自体が残酷に出来ているのかは、分からないが。
100人のうち1人だけが大称賛を受けるのでなく、「100人全員スバラシイ」では、ダメなのか?(もしくは、「誰も際立って素晴らしくはない」)。
もちろん一人一人、役割や人格の違いはあるだろう。
生まれる時に授かった個性の違いや能力の差は、絶対あるだろうけど…、
しかし、神様や宇宙に尋ねたくなる。
なぜ世の中には成功と失敗があって、好かれる人と好かれない人がいて、生まれつき美醜があって、報われる努力と報われない努力があって、不公平で…、そしてなぜ、世の中には、「不幸」とか「残酷」としか思えないような境遇や病気や不具があるのか?
(美醜や幸・不幸などを勝手に判断しているのは、私の狭い目線や価値観だけど。私はおそらく、短絡的・一面的な見方しか出来ていないけれど)。
☆
「誰もかれも美しくて、誰もかれも認められて、誰もかれもが成功して、誰もかれもが素晴らしい!」、そんな世界ではダメなのだろうか?
人は皆、それぞれ主役だと思うのに…、なぜ世の中には、過剰なまでの落ちこぼれや苦しみ・惨めさがあるのか?
「誰もかれも美しくて、誰もかれも認められて、誰もかれもが成功して、誰もかれもが素晴らしい!」、そんな世界ではダメなのだろうか?
人は皆、それぞれ主役だと思うのに…、なぜ世の中には、過剰なまでの落ちこぼれや苦しみ・惨めさがあるのか?
泣けてくる。
「こんな世界で良いわけない!」と、大声で叫びたい気になります。
☆
この世での役割や学びは、一人一人違うということ…、頭では分かっているつもりなのだが。
苦しみや悩みや葛藤も、むしろ、人を進歩・成長させてくれるということも、頭では分かっているつもり。
生命の姿・能力・性格・個性などは決して均一ではなく、多種多様であることが、むしろ自然であり天命なのだということも、心底分かる。
例えば、天体(星)も動植物も、山も雲も鉱物も…、大きさ・美しさ・能力・強さ、皆バラバラであることが自然。自然界は、全く平等ではない。弱肉強食も、自然の摂理だし。
(人間も、もし誰もが同じ考え・同じ感性・同じ個性・同じ顔・同じ価値観の世界なんて…、想像しただけで吐き気がしますしね)。
この世での役割や学びは、一人一人違うということ…、頭では分かっているつもりなのだが。
苦しみや悩みや葛藤も、むしろ、人を進歩・成長させてくれるということも、頭では分かっているつもり。
生命の姿・能力・性格・個性などは決して均一ではなく、多種多様であることが、むしろ自然であり天命なのだということも、心底分かる。
例えば、天体(星)も動植物も、山も雲も鉱物も…、大きさ・美しさ・能力・強さ、皆バラバラであることが自然。自然界は、全く平等ではない。弱肉強食も、自然の摂理だし。
(人間も、もし誰もが同じ考え・同じ感性・同じ個性・同じ顔・同じ価値観の世界なんて…、想像しただけで吐き気がしますしね)。
☆
それから、人間というものは…、表面的な美貌や財産や、表面的な能力や肩書きなどが、必ずしも幸せにつながるものでもないということも、頭では分かる。
私は多分、表面的なことしか見えていないのだろうな…。
それから、人間というものは…、表面的な美貌や財産や、表面的な能力や肩書きなどが、必ずしも幸せにつながるものでもないということも、頭では分かる。
私は多分、表面的なことしか見えていないのだろうな…。
☆
しかも、私は上記のように、博愛や平等を求めるようなキレイゴトを書きつつ…、
実は、ほかならぬ私自身、外見が美しい人は好きです。男女問わず。
それから、音楽やダンスやスポーツが得意な人に、惹かれます。
素晴らしいアーチストや作家が好きだし。
実は、ほかならぬ私自身、外見が美しい人は好きです。男女問わず。
それから、音楽やダンスやスポーツが得意な人に、惹かれます。
素晴らしいアーチストや作家が好きだし。
そういう生き方をしている人や、能力の高い人を尊敬したり、感心したりします。
☆
つまり、私自身が、全く平等な精神ではないのだ。
格差社会・競争社会を批判するようなことを言って…、差別やえり好みをしているのは、実は、私自身なのだ。
つまり、私自身が、全く平等な精神ではないのだ。
格差社会・競争社会を批判するようなことを言って…、差別やえり好みをしているのは、実は、私自身なのだ。
要するに、私達が“愛”などと呼んでいるものは…、ほとんどは、えり好みや差別や執着心のことではないか?本当のところ、“愛”とか“優しさ”なんて、マザーテレサみたいな人にしか、分かっていないのではないか?
☆
多くの矛盾、多くの葛藤や疑問、多くの願いや祈りや未熟さを抱えて、人生という旅は続く…。
しかし、未熟なのは当たり前だし、葛藤や疑問も大歓迎とも感じます!
やるせない想いや葛藤や疑問、無知で無力で利己的であることの哀しさ…、自分自身や人や天への問いかけ・祈り・願い…、心の中に渦巻く、自己中心的な夢・希望・愛・欲望・不満・えり好み…、
などなどに満ち溢れているからこそ、私は音楽をやりたいとも感じるのだと思う。多分。(音楽に救われたいという気持ちも、あるかもしれない)。
「いっそ無になりたい」などと思っていた時期もあったけど、今は、そうは感じていない。
内面に渦巻く数多くの疑問や祈り、願いや欲望…、それらを、自分なりに精一杯歌ったり、奏でたり、言葉や行動に移したり、味わったりしていたい。
そうやって、いつも心は揺れ動きつつ…、しかし同時に、自分も人も世界も少しずつ変化していく流れを…、穏やかに静かに眺めてもいたい。
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まさしく運命の出会い
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:08
数ヶ月前から聴きはじめた“The Dresden Dolls”というバンド(ユニット?)、やはりサイコーですわ〜。私にとって。
特に、2ndアルバム『Yes,Virginia』。
『Backstabber』という曲とか、『Dirty Business』という曲とか。泣きそうだ。久しぶりだ、こんなに熱い気持ち。大音量で聴きたい系。ベートーヴェンばりのド直球、気合い一閃!大胆かつ繊細。
これらの曲、私は一体何に心打たれているのかさえ、よく分からないが。とにかくジーンとくる。
いいなあ、本当にいいなあ。
好きな音楽は多々あれど、これほどまでに強く惹かれ、人生が変わるほど影響受ける作品となると…、そうは多くない。
2〜3年に1つ、出会えるか出会えないか、というレヴェルか?
例えば、シューベルト作曲『即興曲』や『楽興の時』がそうだった。人生変えられた。(『若い尼』という歌曲も)。
あと、何だかんだ…、モーツァルトの代表的ピアノソナタ(KV310、330、331、332、475あたり)、ピアノ協奏曲23番なども、相当好きで影響も大きいと思う。
他には…、ベートーヴェンの『皇帝』や幾つかのピアノソナタ(8番、12番、14番、21番、26番、30番、32番あたり)、キース・ジャレットやフェビアン・レザ・パネの幾つかのピアノソロAlbum、ブラームスの『ドイツレクイエム』や後期ピアノ曲、ミュージカル『RENT』と『ヘアスプレー』、STEPS『boy be』、 BEATLESや、日本のPops・アニメ主題歌・ゲーム音楽の幾つかの曲…、それから、バッハ、ショパン、チャイコフスキー、フランク、メシアン、タヴナーなどの楽曲にも幾つか…、交響曲なら、『運命』、『未完成』、チャイコフスキー5番、シベリウス4・6・7番、マーラー9・10番…、
(あと、ピアノ習いはじめた頃に弾いていた、ブルグミュラーやソナチネも好きで意外と影響デカイ)、
まあ、そんなふうに。
“The Dresden Dolls”も、深く深く感銘を受け、自分の血肉と化すレヴェル!(^O^)/
俺、「レヴェル」って言いたいだけ!(^O^)/
特に、2ndアルバム『Yes,Virginia』。
『Backstabber』という曲とか、『Dirty Business』という曲とか。泣きそうだ。久しぶりだ、こんなに熱い気持ち。大音量で聴きたい系。ベートーヴェンばりのド直球、気合い一閃!大胆かつ繊細。
これらの曲、私は一体何に心打たれているのかさえ、よく分からないが。とにかくジーンとくる。
いいなあ、本当にいいなあ。
好きな音楽は多々あれど、これほどまでに強く惹かれ、人生が変わるほど影響受ける作品となると…、そうは多くない。
2〜3年に1つ、出会えるか出会えないか、というレヴェルか?
例えば、シューベルト作曲『即興曲』や『楽興の時』がそうだった。人生変えられた。(『若い尼』という歌曲も)。
あと、何だかんだ…、モーツァルトの代表的ピアノソナタ(KV310、330、331、332、475あたり)、ピアノ協奏曲23番なども、相当好きで影響も大きいと思う。
他には…、ベートーヴェンの『皇帝』や幾つかのピアノソナタ(8番、12番、14番、21番、26番、30番、32番あたり)、キース・ジャレットやフェビアン・レザ・パネの幾つかのピアノソロAlbum、ブラームスの『ドイツレクイエム』や後期ピアノ曲、ミュージカル『RENT』と『ヘアスプレー』、STEPS『boy be』、 BEATLESや、日本のPops・アニメ主題歌・ゲーム音楽の幾つかの曲…、それから、バッハ、ショパン、チャイコフスキー、フランク、メシアン、タヴナーなどの楽曲にも幾つか…、交響曲なら、『運命』、『未完成』、チャイコフスキー5番、シベリウス4・6・7番、マーラー9・10番…、
(あと、ピアノ習いはじめた頃に弾いていた、ブルグミュラーやソナチネも好きで意外と影響デカイ)、
まあ、そんなふうに。
“The Dresden Dolls”も、深く深く感銘を受け、自分の血肉と化すレヴェル!(^O^)/
俺、「レヴェル」って言いたいだけ!(^O^)/
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美女は不在の野獣系
- 2010.09.15 Wednesday
- 01:02
最近、たまにデスメタル聴いてます。(笑)
デス声、超ウケる。(^O^)/
ジャイアンのリサイタルって、こんな感じの歌声かな?もしかしたら。
(“デス声”とは、リアルに「ぼえ〜ッ!」って感じの歌声。
“デスメタル”自体も、アバンギャルドと言うより、もはやクラシックと言って良いほど、一つの確立された音楽スタイルです)。
もともと私、昔からプログレは好きだったし、普通のメタルも、たまに聴いていました。
エマーソン・レイク&パーマーのAlbum『タルカス』とか。メタリカの『メタル・マスター』とか。
どちらも傑作アルバムだと思うし、今でもたまに聴きます。器楽的に練り込まれていて、近現代音楽ばりの変拍子や、“リフ”と呼ばれる印象的イントロ・カッコイイ伴奏パターンなどが好きなのだ。(もちろん、曲作りの参考にもなる)。
デスメタルは、最近、初体験しました。
しかしまぁ、デスメタルも、器楽の演奏技術レヴェル素晴らしいですね。ただ単に轟音で馬鹿騒ぎしているだけではない。
特にドラムなんて、「阿修羅マンしか叩けないのではないか?」と思うほど。腕二本では叩けないような、高速スラッシュRhythm連発。は、はええッ!
バスドラの超高速連発とかも、どうやって蹴っているのだろう?足、何本あんねん?
まあ、10人中、8人か9人は「嫌い」「気持ち悪い」と感じる音楽だと思う。デスメタルは。(笑)
私も、デスメタルを聴いても別に楽しくもないし、安らいだりもしない。燃えるけど。
私は、音楽や文学や絵画などに、居心地の良い安らぎのみを求めているわけではないのだ。(もし私が、居心地の良さや、上品な美しさだけを求めているなら…、例えばベートーヴェンやゴッホなども嫌いなはず。私は、苦しくて一途で、闇だか光だか分からないようなアートも大好きなのだ)。
「体の奥底の熱い部分を覚醒させたい」、「野獣のような曲も書いてみたい」、てな想いもある。
ちなみに、私が聴いているデスメタル…、いくつか聴いた中で、“Morbid Angel”というバンドが、私的には、リフや音楽構成力が好きでした。
ご興味ある方は、YouTubeででも。
多分、最悪に気に入らないと思います。( ̄▽ ̄;)
人によっては、数日間は体調を崩すレヴェルなので、もし聴かれるなら自己責任で。(もしくは、ジャイアン・リサイタルのつもりで聴いて下さい?)
あー、でも…、現代音楽の作品などには、もっと不協和音満載で轟音で、キタナイ響きの作品、山ほどありますけどね。
デス声、超ウケる。(^O^)/
ジャイアンのリサイタルって、こんな感じの歌声かな?もしかしたら。
(“デス声”とは、リアルに「ぼえ〜ッ!」って感じの歌声。
“デスメタル”自体も、アバンギャルドと言うより、もはやクラシックと言って良いほど、一つの確立された音楽スタイルです)。
もともと私、昔からプログレは好きだったし、普通のメタルも、たまに聴いていました。
エマーソン・レイク&パーマーのAlbum『タルカス』とか。メタリカの『メタル・マスター』とか。
どちらも傑作アルバムだと思うし、今でもたまに聴きます。器楽的に練り込まれていて、近現代音楽ばりの変拍子や、“リフ”と呼ばれる印象的イントロ・カッコイイ伴奏パターンなどが好きなのだ。(もちろん、曲作りの参考にもなる)。
デスメタルは、最近、初体験しました。
しかしまぁ、デスメタルも、器楽の演奏技術レヴェル素晴らしいですね。ただ単に轟音で馬鹿騒ぎしているだけではない。
特にドラムなんて、「阿修羅マンしか叩けないのではないか?」と思うほど。腕二本では叩けないような、高速スラッシュRhythm連発。は、はええッ!
バスドラの超高速連発とかも、どうやって蹴っているのだろう?足、何本あんねん?
まあ、10人中、8人か9人は「嫌い」「気持ち悪い」と感じる音楽だと思う。デスメタルは。(笑)
私も、デスメタルを聴いても別に楽しくもないし、安らいだりもしない。燃えるけど。
私は、音楽や文学や絵画などに、居心地の良い安らぎのみを求めているわけではないのだ。(もし私が、居心地の良さや、上品な美しさだけを求めているなら…、例えばベートーヴェンやゴッホなども嫌いなはず。私は、苦しくて一途で、闇だか光だか分からないようなアートも大好きなのだ)。
「体の奥底の熱い部分を覚醒させたい」、「野獣のような曲も書いてみたい」、てな想いもある。
ちなみに、私が聴いているデスメタル…、いくつか聴いた中で、“Morbid Angel”というバンドが、私的には、リフや音楽構成力が好きでした。
ご興味ある方は、YouTubeででも。
多分、最悪に気に入らないと思います。( ̄▽ ̄;)
人によっては、数日間は体調を崩すレヴェルなので、もし聴かれるなら自己責任で。(もしくは、ジャイアン・リサイタルのつもりで聴いて下さい?)
あー、でも…、現代音楽の作品などには、もっと不協和音満載で轟音で、キタナイ響きの作品、山ほどありますけどね。
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