良い刺激

  • 2010.08.15 Sunday
  • 19:35
(さっきの記事の続き)

いや〜、もちろんライブ良かったです。

たまには良いものですね。昼間から、アルコール片手に人の歌を聴くのも。ジントニック美味しかった。

曲作りに関してと、ピアニストのプレイに関して、色々と参考になること満載でした。

一つ一つの音使いに聴き入り…、自分の惹かれること、逆に惹かれないこと、よく見えてきます。

月に一度くらいは、色々ライブや演奏会に行きたいと思った。
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    これからライブ

    • 2010.08.15 Sunday
    • 13:25
    今朝起きたら、私は罪悪感のような感情に苛まれた。たはっ。

    「今まで自分は、(生まれてから今まで)、どれほど人に迷惑や不快感を与えてしまったのだろう?」、みたいな。

    まあ、生きてりゃ皆、お互い様かもしれないが。

    ちなみに、なぜそんな気分になったかと言うと、子供に戻った夢を見たのだ。

    夢の中で、私は子供だった。まことに、チャイルドな子供でした。

    で、子供の頃の私の、過剰なワガママさ・ナイーブさ、異常なほどの虚栄心や不安感や自己嫌悪を手にとるように思い出した…。(今思えば、あれは何だったのだろう?)

    それに加えて、血迷った愚行や虚言ばかり繰り返していた自分を思い出してしまい…。(´Д`)

    まあ、自分の愚行は忘れないくらいで調度良いかな、と思います。繰り返さないためには。

    と言いつつ、今現在も、虚栄や愚行を繰り返してしまう私だけど…。

    意外と、たまに見る嫌な夢はありがたいです。自分の嫌なところに気づくことも、私にとっては好ましい。色々と気をつけるようにもなるし、新しい出発点になるような気もしています。

    さて、今日はこれから、とある女性シンガーのライブ見ますよ〜。

    ライブ会場に電車で向かっている、なう。

    わくてか、わくてか。(´Д`)

    ワクワクすると、なぜ人は腹が痛むのでしょう?(私だけか?)

    ジャンル問わず、エンターテイメントや芸事やアートが大好きなわけです!

    パフォーマーもお客さんも一体になって、みんな夢心地になれるし、癒されるし、泣けるし、勇気付けられますもん。何と素晴らしいお仕事。

    エンターテイメントや娯楽メインでも、スゲー舞台とかは愛や神秘を感じますし、神懸かってると感じます。

    逆に、高尚な内容や題材でも、イマイチ好きになれない場合もありますが。

    ともかく只今ライブ前。高まります!

    イントロとかで、「お〜っ!よっしゃ行くぞ〜!」「タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!」…、などと、大声で叫びたい気分。今、私は非常にそんな気分なの。

    だが、ヲタ芸はやったこと無い上に、そんなことしたら確実に浮きそうな雰囲気のライブなので自重します。(´Д`)
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      今日も充実

      • 2010.08.15 Sunday
      • 01:55
      昨日も今日も、ひたすら朝から夜まで曲作り。

      最近は暇さえあれば曲作りしてます。

      だが!満足のいく曲は全く出来ず、出来る気配すら無く、私は激怒した。フハハハ!

      いや、冗談す…。『激怒した』と言ってみたかっただけ。(メロス)。

      曲は出来てないけど、気配や予感ぐらいは、あります。音楽の不穏な気配・魅力も含めて。それがなきゃ多分やってられないし、とっくに別の道へ行ってる。

      いやー、しかし昨日などはムカついたな。ムカトゥク、ムカトゥク。

      曲作り…、好きな曲を参考にしてもダメ、参考にしなくてもダメ。

      テーマや雰囲気や技法をあらかじめ決めてもダメ、決めなくてもダメ。

      頭で作っても、何も考えず作っても、気合い全開で作っても、無心で作っても…、どれもダメ。

      そういうわけで、メロスは激怒した。

      才能もしくは努力が足りないと言えばそれまでだが。15年以上も作曲していて、何も進んでないな、などと思った。

      発想も乏しく、ダサいフレーズしか思いつかない自分。そこそこの曲ならいくらでも出来るけど、全てボツ。そんなのは私の夢でも何でもない。

      いや…、曲作りだけに限らず。

      せせこましい指揮しか振れない自分、外見も内面も発言も、カッコ悪すぎる自分。

      そんな自分が何処までもついてきて、逃げることは出来ない。逃げようとも思わないが。

      ならば、開き直って、そういう己の魂をそのまま音にぶつけろ!そして“己”など、全て明け渡せ!

      必要なのは、もはや技術とかじゃない。メンタルとか人間性とか、そういうのでもない。

      うおおお、滝に打たれにでも行くか?虎か熊と戦うとか。3年くらい、インドの山奥で1人で暮らすとか?

      いや、何をしたって卑しいこのオレは、それを自負や自慢や自己満足にしか変換しない…、薄っぺら野郎。

      自分の性格や口調や、価値観や生き方さえ、他人にアピールするための“名刺”みたいな?自分だけを特別視・自画自賛したいための“道具”みたいな?

      卑しい。スケール小さい。しょーもない。そんなアピールも証明もしなくても、誰もが特別な存在なのに。

      でも、そういうセコい自分から逃げるのでなく、気づかないふりをするのでもなく。向き合って気づいていたい。そして、笑い飛ばしてもいたい。

      基本、もちろん毎日、今日という日に感謝です。

      こうしてチャレンジできる日々に感謝。

      文面からは伝わらないかもしれないが、多分、それも含めて幸せなことです。思い切って自分の最高の夢を追っていられること、ありがたいと思う。

      さてさて、明日は楽しみなことが一つ待っている。グフフフ…。

      P.S.

      先日、バクマン最新刊、読んだ。フムフム…。

      後半、好き。読みながら、「いいねえ、そうこなくっちゃ!」と、何度も思った。

      『どうだろうか?』が、私も口癖になりそ…。(^-^;
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        近況その2

        • 2010.08.11 Wednesday
        • 13:43
        先日、NHK深夜放送にて。

        「世界の市場(ネパール・カトマンズ)」という番組を見ました。

        ナレーションもセリフも無く、映像だけが流れる番組でした。

        テレビ画面を通して、カトマンズの街の風景を眺めていたら…、何とも切ないような、幸せなような、不思議な気分になった。

        カトマンズのゴチャゴチャした街並みや…、皺くちゃのお爺さんがモモ(餃子)を食べている様子や、子供達が無邪気に広場で遊んでいる様子や、商人が天秤で物を運んでいる様子などなど、日常的な街の風景…、

        当たり前だけど、僕が決して体験することのない人生ばかりがそこにありました。

        何を想い、何を感じる人生なのだろう?

        一生出会うこともないであろう人達の暮らしを垣間見つつ、幸多かれと願ってみたり…。

        P.S.

        その後、カトマンズに続き、香港やドイツや、韓国やインドの市場や街の風景も放送されてました。

        私が一生歩くことも無いであろう香港や韓国の、(観光地ではない)街並みや雑踏…。

        知らない街で暮らしている、知らないたくさんの人達…。

        世界は広いですね。このたくさんの一人一人に希望や夢や悩みがあって、人それぞれに「世界」があって…。

        それぞれの人の「見方」イコール、その人の「世界」だなあ、とか思った。

        ところで!

        香港の市場で食用カエルを売るオッサンが、顔がカエルに似ていて、ワラタ!(笑)

        フハハハハ、素晴らしい!?

        一度限りの人生、“カエル売り”をやるなら、とことん!顔も表情もカエルに似せてこそ、天職を遂行できるってもんです。

        いや、冗談です。外見より大切なことは、多分、たくさんあるはず。

        というか、何でもアリすね。

        「外見や形から入る」のもアリ。内容や本質のみを求め、「形には頓着せず」もアリ。あるいは、中身にも外見にも、両方こだわるのも良いし。特に何にも強くこだわらず、優雅にノンビリ暮らすも良し。ガムシャラに理想や夢を追いかけるも良し。

        多分、何でも素敵ってもんだ。

        そんなこんなで、愉しい夜でありました。

        ではまた!ゲロゲーロ!
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          近況その1

          • 2010.08.11 Wednesday
          • 13:41
          最近の私のお気に入り音楽は、小林建樹さんのベストAlbumと、あと、何と言っても“THE DRESDEN DOLLS”です!

          小林建樹さんは、平原綾香さんの「誓い」という曲の作詞作曲者で、ご自身もシンガーソングライター。
          独特のニオイと質感が心地良い〜。ここ数ヶ月、ほぼ毎日聴いてます。

          「誓い」という曲は、ジャンル問わず、私が最高に素晴らしいと感じる歌の一つですが。
          最近は、やはり小林さん作詞作曲の「Sweet Rendez-Vous」「祈り」「夏の予感」「目の前」あたりの曲にも、何とも言えず惹かれています。冗談抜きで、胸が裂けそうなほど心を動かされる。

          それから、“THE DRESDEN DOLLS”!これまた、スゲー好き!
          聴いていると、なんだか、新しい意識や感覚が開かれる感じ?
          先月、彼らのCD全て買いました。

          YouTubeで見た幾つかのライブ動画、心底、感動したなぁ。
          画像や音質の良くないYouTubeでさえ、熱気がビシバシ伝わってきました。彼らの人生や生命を全てぶっつけてる感じのライブですね。時にグロテスクなほど、激しくて生々しいライブ。もちろん勢いだけでなく、“ホンモノ”が醸し出す格調高さ・繊細さ・沈着さも、ハンパなく感じますが。

          私は、彼らの音楽のように…、時には汚いくらいの激しさや、赤裸々な魂の叫びや生命感、あるいは、どうにもならない醜さ・苦しさなども含めて表現するような力強いアートにも、私はとても惹かれます。(古典で言えば、例えばベートーヴェンやゴッホみたいな?激しく赤裸々に“魂を込める”、みたいな。現代なら、キース・ジャレットのソロピアノとか)。

          ほとばしるような魂の叫びや、心の奥底の情感…、それらはロックやパンクだけの専売特許ではなく、クラシックでもポップスでも現代音楽でも何でも、全く同じことだと思っています。

          でも…、ひたすら美や調和や知性を追求する作品も、それもまた、立派なアートだとも私は思う。(例えば精密なデッサン画とか、写実主義とか)。

          しかも、そういう端正な作品の中にも、魂の表現や発露も絶対あるはずだとも思うし。

          音楽で言えば、例えばモーツァルトとかシューベルトとかビートルズとか、(他にもたくさん)、端正な形式美だけど、圧倒的な神々しさや突き抜けたセンスを感じます。

          ソウルフルなシャウト系ではないからと言って、魂や心が込められていないわけでもないし、神々しさが現れないわけでもない。(もちろん、何を素晴らしいと感じるか、人それぞれ好みがあると思いますが)。

          かの岡本太郎さんは、「芸術は、キレイであってはいけない。上手くてはいけない。心地良くてはいけない」と言ったそうだが…、私は、「そんなこともないだろ?」「正解や価値基準を決めすぎなくても良いのではないか?」などと思ってしまう。

          キレイ系アートであろうが、キタナイ系アートであろうが…、あるいは、癒し系であろうが、ポップス系であろうが、アバンギャルド系であろうが、(その他何でも)、どのようなタイプの表現にも、素晴らしい作品は多々あるのではないか?

          (注・岡本太郎さんの著作や発言、私は大好きだし、励まされることも非常に多いですが)。

          生き方も芸術も、娯楽もポップアートも、「こうでなければイカン」というのは幻想ではないか?

          もちろん私にも、好きな作品もあれば、苦手な作品もある。無数にある世界中の音楽作品やアート作品…、やはり、本当に心底好きな作品は小数かもしれない。

          でも、それは単に、今現在の個人的な好み。

          ホント、小難しい芸術論とか人生論って、あまり興味ないです。(価値や可能性を限定してしまうことに、多分私は興味がないのだろう)。

          芸術論やら人生論やらを持つことによって、心や視野が広がるなら賛成だが。けど、それによって、自分だけが正しいと思い込んでしまったり、他者を低く見る癖がついてしまったりするなら…、私は、無意味だなあと思う。

          で…、人生や芸術や、考え方・生き方などについて、「こうでなければイカン」とか、「私は(真理や苦労を)知ってるけど、あなたはまだ知らない」、みたいなニュアンスのことを言う人とは…、ついつい私は喧嘩したり、逃げ出してしまうことも多いけれど。(´Д`)

          でも、そういうふうなことを言われて不快感があるということは…、私自身の中にも、過度に「低く見られたくない」「誰とでも対等でありたい」「人を見下してるくせに、自分のことを謙虚とか優しいとか正しいとか思い込んでいる奴、大嫌い」みたいな…(笑)、そういうスケールの小ささを私は抱えている証拠でもあって、「うーん、逃げてばかりもいられないなぁ」、とも思うのである。

          ちょっと話が飛んでしまいましたが。

          私は基本、人や自分のことを気にしすぎなのよね。人や自分の言葉とか、一つ一つの感情とか。いちいち。それも大事だろうけど、でも、もっと大きなことや、もっと大切なことに気持ちを向けていないとな…。感情に溺れすぎない、というか。(感情を抑圧するわけではなく、心が揺れ動かないわけでもなく。揺れ動く“感情”や“出来事”を眺めている「もう一人の自分」は、もっと大きな視野や流れに焦点を合わせている…、みたいな。上手く説明できませんが…。)

          ではでは、長くなりましたが。熱中症などに注意して、Nipponの夏をお過ごし下さい。

          この時期の猛暑日は、屋外で仕事されている方々などはハードすね。私の仕事は、基本、屋内ですから楽なもんですが。皆様どうぞご自愛を。
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            夏の風物詩

            • 2010.08.08 Sunday
            • 22:22
            Image386.jpg
            (今年初のガリガリ!)

            先日、「ガリガリ君」を食べました。

            うおっ!?

            食べながら、「やたら持ちにくいぜ」と思ったら。

            なんと、棒が「斜め」にアイスに突入していました。珍しいことだ。(写真参照)

            ちなみに私、夏にアイスを食べるなら、「ガリガリ君」が最高です。ソーダ味。

            まあ、アイスは、ひと夏に五回も食べないですけどね。(←「スガシカオ」blogのリスペクト)。

            冬にアイスを食べるなら、私は「ハーゲンダッツ」や「板チョコアイス」あたりが好きです。

            というか、アイスやお菓子・間食は、あまり食べないですけど。

            ちなみに、「コンビニ」などで手軽に買えるスイーツで最も好きなのは…、私は、何と言っても「雪苺娘」!

            アレ、好きですね。

            私の場合、まず苺と「スポンジ」だけ先に取り出して食べる。そして、もう一度クルッと巻いて、最も美味なホイップクリームとモチモチな「皮」は、後で食べるのだ。生八ツ橋を思わせる求肥の食感、繊細で好ましい。

            とは言え、こちらも、せいぜい年間に三個くらいしか食べないですけど。

            ところで「マカロン」って食べたことない旧人類な私。

            マカロニなら食べたことあるのだが…。
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              オキーフ画集など

              • 2010.08.03 Tuesday
              • 23:12
              先日。なんだか絵を見たい気分になった。

              それで、ジュンク堂と紀伊國屋に立ち寄り、美術コーナーで色々と画集を立ち読み(立ち見)した。

              知っている画家、知らない画家問わず。色々と立ち読みしてみた。2時間近く、美術コーナーをウロウロして。嫌な客だ(笑)。

              その日、特に惹かれた画家は…、

              ルドン、クノップフ、ダ・ヴィンチ、ローリー、スーラ、C.D.フリードリヒ、M.C.エッシャー、ベクシンスキー、ゾーヴァ、オキーフ、岡本太郎、山口藍、鴻池朋子、鈴木まさこ、スタシス・エイドゥリゲヴィチウス…、あたり。どれも素晴らしい!

              色々立ち読みした末、4冊買いました。

              買ったのは、オキーフの画集、岡本太郎の作品集、鈴木まさこ画集『ZOO-M』、鴻池朋子作品集『インタートラベラー』。

              オキーフさんの作品は初めて見たけど、とても惹かれました!

              花やビルの絵や、家や石の絵…、素晴らしい。今まで見たことないほど、シンプルな絵画。

              オキーフさんは、徹底的に、自分が感じたこと・描きたいことのみにフォーカスしている気がする。(あるいは、内なる啓示や、人知を越えた何者かに、「描かされている」とも感じられる)。

              いずれにせよ、余計な装飾や、余計な虚栄・エクスキューズ等が入り込む余地が無い。

              「自分を良く見せたい」とか、「人にこう感じて欲しい」みたいな、媚びる感じが皆無。

              とてもプリミティブな感じもします。技法とか文明とか価値観とかに、まみれていない感じ。

              過度に美しくもなく、醜くもなく、甘やかすような優しさでもなく、かと言って冷たさでもなく…、既存のジャンル・伝統・技法・価値観などに、追従するのでもなく、反逆するのでもなく…、

              “ただ見つめる”、“ただ此処に在る”みたいな世界…。

              強い!

              いやー、勇気百倍。私もこうありたい。

              必ずしも、感情過多な表現だけが「表現力が豊か」というわけではない、良い見本でもある。音楽も同じだけど、「表現しない」という表現もあるわけだし、感情・感覚・価値観などとは異なる層の精神性もあるのだから。

              オキーフ絵画を見ていると、なんと言うか…、根源的な“生命感”というのか、力強くグググッと迫ってくる感じ。それでいて、静かで瞑想的な雰囲気も漂っているから不思議です。

              その“生命感”や“力強さ”や“静けさ”は、オキーフさんの個性だと思うのだけど…、でも、それだけでもない。

              「(絵を見ている)私も同じだ」、ということに、気づかせてもくれる。

              つまり、“他人事”として鑑賞しているのではなく、私自身の生命力や精神性を、オキーフ作品を通して実感させてもらえるような感じがしました。

              でも、オキーフさんの作品だけではなく、素晴らしいアートや文学は、そういうものだと私は思っています。(別に、ジャンル問わず。絵画やクラシック音楽や純文学だけではなく…、ポップスやアニメソングや、ドラマや漫画とかでも)。

              私にとって『素晴らしい作品』とは…、“他人事”として、外から感心したり批評したりするのではなく。否応なく、自分自身の体感や内面を感じざるを得なくなる…、そんな作品なのかもしれません。

              で、どのような作品に、私はそのような力強いパワーを感じるのかと言うと、それは謎なのですけどね。「こういうタイプの作品には必ず惹かれる」みたいな法則も無いし、ジャンルも関係無い。

              考え方や性格が、自分と似ているアーチストの作品に強く惹かれるかと言えば…、必ずしも、そうとも言えない。

              自分と世代の近い、同性のアーチストや作家の作品ばかりに共感するのかと言えば…、それも必ずしも、そういうわけでもない。

              実際、私は…、女性シンガーソングライターや女流作家の作品や、女の子が主役のアニメソングや、老人や女性を主人公にした歌に…、「そうそうそう!」みたいに、めちゃめちゃ自分のこととして共感することも多いです。

              例えば、シューベルト作曲の『アヴェマリア』『若い尼』『夜の曲(D672)』とか…、ミュージカル映画『RENT』『ヘアスプレー』とか…、アニメソングなら『魔女っ子メグちゃん』『ロマンティックあげるよ』『キャンディキャンディ』『トムソーヤーの冒険』とか、(古い…)、坂本真綾さんの歌と歌詞とか…

              上記の歌の主人公は、いずれも、女性や老人や、同性愛者や重病人やティーンエイジャーなどなど。つまり、私とは全く異なる目線で書かれた歌ばかりだけど…、でも、歌の根底に流れる内面性は、「まさに私そのもの!」と感じるのだ。

              性別や世代やシチュエーションが自分とは異なる歌でも、その根底に流れる心や本質…、(強引に言葉にするなら…、例えば“憧れ”とか“悩み”とか、“喜び”とか“哀しみ”とか、“好奇心”とか“切なさ”とか…、あるいは、それらが全て混ざったような感覚とか)…、そういう、奥底のエネルギーに共感・共鳴しているのだと思う。“表面の違い”や、ジャンルなどに注目しすぎてしまうのではなく。

              (小説なども同じ。例えば、小川洋子さん『偶然の祝福』『シュガータイム』や、山田詠美さん『色彩の息子』『晩年の子供』など、ほとんど女性が主人公だけど、私は凄まじく共感したし…、近年の村上春樹作品など、実に荒唐無稽でリアリティの無い物語ばかりだけど…、こちらも、いつも深く共感させられている。

              ドラマ・映画なども同じです。私は子供はいないのにも関わらず…、我が子を守ろうとする父や母のお話とか、やっぱり泣けるし、とても強く共感するし…。

              したがって、やはり人間は、(というか私は)、必ずしも、自分自身と似た状況・世代・性別・シチュエーションだけに共感するわけではない、ということが分かる。

              作品世界の、表面的なテーマの奥底に流れる…、“魂”とか、“生きる姿”とか、“エネルギー”とか…、そういう深くて根源的な部分が、表面的な状況・世代・性別・人種・宗教・思想などの違いを越えて、他者を感動させることは多いと感じます)。

              あるいは、逆のことを言うようだけど…、

              私も含めて多くの人は、音楽やアート作品を味わう時、作者の意図・真意を汲み取ろうとするよりも、むしろ、そこに“自分自身”を見ているのかもしれない。

              いや、“自分自身”のことしか見れないのかもしれない。

              自分の“フィルター”や、自分の感受性・価値観を通してしか、私達は何かを受け取ることは難しいのかもしれない。アートに限らず。

              同じ出来事を経験しても、感じることや受け取るメッセージは、人それぞれ異なるように。(それによって、一人一人、各々の住む世界や人生を、自分で創ってもいる…)。

              さて、絵画や美術から話がそれてしまいました。

              強引に話題を戻すと…、

              岡本太郎さんは、絵画の『千手』『記念撮影』『夜』、それから彫刻の『動物』『犬の植木鉢』『午後の日』『ノン』あたりの作品、良いな〜と思った。特に彫刻に、とても揺さぶられた。ドロッとした感じとか…、あと、やはり根源的な生命感かな?

              こちらも、見ているとスゲー元気出ました。

              鈴木まさこさんと鴻池朋子さんの作品は、この日、初めて見た。どちらの作品も、見た瞬間、「うわっ」とか言ってしまいそうなほど…、胸をえぐられるような感じで、すごく惹かれた。もちろん、両者の作風は全然違いますけど。

              オキーフも岡本太郎も、鈴木まさこさんも鴻池朋子さんも、手元に置いておきたくて購入。(^_^)

              いやはや、画家も、皆さん素晴らしいな。

              悪い意味ではなく、「皆、戦ってるな〜」と感じた。

              マンガで言えば、『HUNTER×HUNTER』の念能力者や、『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド使いみたい。

              皆さん各々、自分の内なる魂と向き合い…、自分の心や身体に最も相応しいテーマ・生き方・表現方法を、とことん掘り下げているように感じられる。私もそうありたいです。

              しかも逆説的だけど、皆さん“自己”を掘り下げることによって、逆に、狭い“自己”に囚われなくなっているようにも感じられる。より自由な境地や無条件な領域を生きているようにも見える。

              P.S.

              その他、昔から大好きだけど、ルソー、ゴッホ、キリコ、シャガールも、立ち読みしてみました。

              やはり、圧倒的に引き付けられます!

              こちらも、“他人事”とは感じられないわけです。

              彼らの絵画を見て、まず第一に感じられるのは、彼らの天才的な個性・感性かもしれない。(あるいは、人知を越えた啓示やエネルギーかもしれない)。

              しかし、同時に、私自身の中のドロドロした部分や、私自身の動物的な生命感や、私自身の自由な想像力や、私の中の根源的な畏れ・静けさ・野蛮さ・美意識なども…、たくさん感じられます。

              絵から放たれる、空気と言うのか、魂と言うのか、オーラと呼ぶべきか(?)、その“凄さ”の正体は分からないし、言葉で説明することも出来ない。(音楽と同じだ)。でも、とても揺さぶられます!単にキレイでお上品なだけでもないし。

              ま、絵や美術なんて、専門的なこと何も分からねえけども!

              ちなみに、シャガールの絵を見ると、なぜか私は、フランク作曲のヴァイオリンソナタが聞こえるような気がします。特に第1楽章と第4楽章が。

              似たような空気や雰囲気を感じるのかもしれない。(浮遊感とか、神秘性とか、静けさとか)。

              あるいは、アートなんて、単なる遊びか自己満足か、何の意味もない、しょーもない営みかもしれないが…。(笑)
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