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2013.04.28 Sunday

無題1

私もよく言ってしまう言葉だけど、(前回記事でも書いてしまったけど)、

「音楽やアートに、絶対的な正解は無い」、

…とは言え、演奏者(作曲者)が表現する、作品の意図・イメージ・雰囲気・世界観などの受け取り方には、ある程度、「正解」があるかもしれません。



感じ方・受け取り方は、一人一人「自由」とは言え、あまり誤解しすぎないほうが良いことも、ある。

例えば、

作者が「単純明快さ」を表現したつもりなのに、聴き手は「小難しい」と感じてしまったり、

作者が「素朴さ」を表現したつもりなのに、聴き手は「オシャレ」と感じてしまったり、

作者が伝統を模した曲を書いたつもりなのに、聴き手は「斬新」と感じてしまったり、

作者が「アンニュイ」を表現したつもりなのに、聴き手は「情熱的」と感じてしまったり、

作者が「無機的」を表現したつもりなのに、聴き手は「ハートウォーミング」と感じてしまったり、

作者が抽象的な曲を書いたつもりなのに、聴き手は「メロディーが良い」と感じてしまったり…、

そういう場合は、曲が悪いか、演奏が悪いか、聴き手がちゃんと聴けていないかの、どれかだと思います。

(※その曲を、気に入るか気に入らないか、ということは、また別問題。今ここで問題にしているのは、「(作曲者の)意図や感性や、想いやイメージが、誤解なく伝わるかどうか」ということです。そこが伝わったうえで、好きになろうが、嫌いになろうが、どう感じようが、それは、聴き手の自由だと思います)。

 
もちろん、“音楽”というものは、1曲の中で、たった1つの感情のみを表現しているわけではないし、感じ方も人それぞれ。

簡単に定義・断定・言語化を出来ないからこそ、音楽だと思うのですけどね…。



それから、当然、「演奏」にも、良し悪しはある。

あるのだけれど、

例えば、ドラマティックな表現と控え目な表現、どちらが良いか悪いかとか、テンポ速めとテンポ遅め、どちらが良いか悪いか、明るめの音色と暗めの音色、どちらが良いか悪いか、お客さんを意識したパフォーマンスをしたほうが良いのか、あるいは、お客さんの存在など意識せず、無心で没入したほうが良いのかとか、感情的に演奏したほうが良いのか、あるいは、クールに淡々と演奏したほうが良いのかとか…、

そういう部分は、あまり何が「正解」とは、言えない気がしている。

かなり好みの問題だし、曲の持つ雰囲気や世界観によっても、違ってくると思う。

(演奏家の個性によっても、違ってくる)。



そしてまた、音楽には、「あえて、強い想いや感情を表現しすぎない」「あえて、意図や感性を表現しすぎない」という感じの、奥ゆかしい曲や、奥ゆかしい演奏も、あると思います。

「ただそこに在るだけ」みたいな、空気のような、さりげない音楽。

(それは、言い換えれば、「“無意図”という意図がある」と言えるかもしれないし、「“無為”というニュアンスを、人為的に演出・創作している」とも、言えるかもしれません)。



さて、「感想」や「批評」というものの中には、

当然、表現者(演奏者)の、感性や意図そのものを否定するような感想(批評)も、有りうると思います。

私は、滅多なことでは、そういう感想(批評)は、言いませんけど(笑)。

なぜなら私は、演奏者(作曲者)の意図や感性自体には、究極的には、何が良くて何が悪いというのは、あまり無いと思っているからです。

私が好きになれない感性や意図であっても、それを「悪い」とは、思えませんし。



だから、もし、私が批評をするとしたら、

「その意図で演奏するなら、もっとこうするべきではないか」、

「その感性なら、もっとこういう方向性や表現方法で作るべきではないか」、

「その歌声を活かすには、もっとこうしたほうが良いのではないか」、

「曲の意図(感性)と演奏者の意図(感性)が、食い違っているのではないか」、

(↑例えば、アンニュイでクールな曲なのに、演奏者が、情熱的にプレイしすぎている…、とか)、

あるいは、逆に、「曲の意図(感性)と演奏者の意図(感性)が一致しすぎていて、演奏者の個性やエゴが、無さすぎるのではないか」、とか…、

そのような観点で、個人的な意見・批評を述べさせて頂くことは、あるかもしれません。



※ちなみに、「指導」というものも、そういう感じが理想的だと、私は思っています。

特に、個人指導の場合は。

ようは、生徒の「意図」や「感性」自体は、可能な限り全肯定して、

で、それを、より魅力的に活かすための「表現の磨き方」を、指導者が「教える」というよりは、一緒に追求・探求するような指導。

(あるいは、様々な表現の方法を、指導者は「提示」や「紹介」をするだけにして、最終的に「どう表現するか」「何を表現するか」というところは、生徒自身に選ばせるような指導。
そういう感じが理想ではないかと、感じています)。



…もちろん、それとは逆に、

表現(創作)の「意図」や「感性」自体を教えたり、「意図」や「感性」自体に白黒つけたりするような指導法も、あるだろう。

「こういう意図やこういう感性は良い」「ああいう意図やああいう感性は悪い」という指導法も、あるだろう。

そういうポリシーで指導していらっしゃる先生も、たくさんいるだろう。

でも、私としては、究極的には、表現者の「意図」や「感性」というものは、その表現者が「持って生まれたもの」だと思っている。

もしくは、表現者自身のセンスや裁量で、「自分で選ぶもの」「自分で創るもの」「自分で答えを出すもの」。

あまり、他者がどうこう言えるものではない、と、私は思っています。


 
…ただし、あまりに未熟すぎる曲や演奏だと、何の意図も感性も反映されていないような場合もあります…。

そういう場合は、単に、技術的な問題であることが多いと思います。(意図や感性以前の問題)。

だから、やはり、最低限の技術や知識を詰め込むような指導や、「型」を教え込むような指導も、有効だと思います。

例えるなら、詩や小説を書くのに、感性や感情だけで書けるわけはないし、知らない言語で、書けるはずもない。

まずは、「言語」や「単語」という、表現するための「手段」や「技術(ツール)」を持っていないと、いくら感受性が豊かな人間でも、詩も小説も書けないと思います。(コックリさん的・神懸かり的な自動書記とかなら、話は別だけど)。

そしてそれは、音楽でも、似たようなものだと思っています。

 
(※当記事で、私の言う「指導」とは、あくまで、音楽やアートの分野のことです。しかも個人指導についてです。音楽以外の分野や、幼児教育や義務教育のことについては、経験も無いのでよく分かりません)。



さて、世の中で、一番まずい指導や批評(感想)は、

「これはカバー曲だからダメ」「このジャンルの音楽は全て低俗」「電子楽器は全て冷たい」「生楽器は全てダサい」「このジャンルの曲は全て退屈」
○○人らしい演奏」「男性(女性)ならではの力強い(優しい)演奏」「若者(老人)ならではの演奏」「言葉という表現ツールでは気持ちは伝わらない」、

みたいな批評(感想)だろうと思われる。

要は、単なる決め付けタイプね。

個々の曲や詩や演奏の、その中身や音楽性を、ちゃんと感じようとしていない感想。

(作品の、「表現手段」や「ジャンル」
や「楽器」や、表現者の人種や性別や年齢などなど…、いわば、外側の手段・パッケージ・額縁だけで、中身を批評してしまうタイプ)。

…確かに、「ジャンル」や「楽器」というものは、ある程度は、その音楽の中身を決定付けることも多いけれど、

しかし、ジャンルや楽器の持つステレオタイプ的なイメージと、その曲の持つ中身・内容・本質は、必ずしもイコールではなことが少なくないのではないかと、私は実感しています。

例えば、真面目で大人しくて伝統的なイメージのクラシック音楽にだって…、むしろ、非常に官能的で、情熱的で、不道徳で、騒がしくて、音楽理論ぶっ壊すほど革新的な曲は、数えきれないほどあります。

逆に、騒々しくて自由なイメージのロック音楽にだって…、むしろ、非常に真面目な内容で、音楽理論のルールを壊さず、伝統的な音楽形式の枠の中だけで表現しているような作品も、これまた、数えきれないほどあります。

(どちらのタイプの音楽が「良い」とか「悪い」とか、そういうことではなくて)。

やはり、外側のジャンルやカテゴライズやパッケージや先入観で、音楽や人間の中身まで結論付けすぎず、

1曲1曲、ちゃんと心で感じたほうが、楽しいのではないか?心地良いのではないか?と、思います。



というわけで、話は少々それましたが、

アートには、絶対的な「正解」は無いけれど、

ある程度、バシッと誤解なく伝わりたい部分は、あると思います。

文学や小説で言えば、

その作品が、ファンタジー寄りなのか、リアルなのか、いつの時代の物語なのか、あるいは、特に時代は設定されていないのか、登場人物それぞれ、どういう気持ちなのか、あるいは、あえて気持ちは描写されていないのか、結末はどうなったのか、あるいは、結末はハッキリ書かれていないのか、文体や比喩はどうなのか…、などなど、

そういう部分の読み取りには、ある程度、「正解」があると思う。

で、そのうえで…、それをどう感じるか、どう解釈するか、その作品を好きか嫌いか、その文体を気に入るか気に入らないか、

というような部分は、必ずしも正解は無いことが多いのではないか、と思います。

2019.05.19 Sunday

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