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2017.07.31 Monday

無題731-2

(※前回記事の続きですが、この記事だけ読んでも意味は通じます)

 

「日本の伝統を大切に」「日本らしさを大切に」などと言っている人の多くが、普通に洋式の衣食住で暮らしているし、そもそも大陸から伝わった文化を日本オリジナルのものだと勘違いしているフシも否めない。。

 

で、それと似た感じなのですが(?)、エコとかロハスとか言う人の「自然」は、むしろ人間に都合良く自然を制御してる場合が多いと思いますし、

 

「人は自然のままが良い」「あるがままが良い」みたいな意見も、人間の性格や言動を、社会的かつ文化的に調教・教育したものを、「これこそ人間の自然な姿だ」と思い込んでいる場合が多い気がします。

 

(あるいは、人間や自然の美しく見える部分だけを「自然」と思い込んでいるだけ、とか)

 

 

そもそも人間が、本当に自然のままの姿になってしまったら、過酷な自然環境の中では生き抜けないと思いますし。

 

 

 

 

例えば、虚言や自己保身や利己主義や、

 

あるいは、とんでもなく汚く残酷に見えるような病気や天災や、悪人や汚物だって、

 

それらも、この宇宙や生命や地球の生成の流れで現れたものである以上、「自然」っちゃあ「自然」なものだ、と思う。

 

 

で、それら汚いもの・病気的なもの・不潔なもの・理不尽なこと・傲慢なもの・暴力的なもの・利己主義的なものを、

 

嫌ったり、見下したり、矯正しようとしたり、掃除しようとしたり、治療しようとしたりするのもまた、自然なことだろうし。

 

(※科学や医療や人為的な創作・作為などを、「不自然なもの」とする考え方もあるかもしれませんが。個人的には、それらも「自然なもの」という認識です)

 

 

 

 

「起こったことを全て受け入れる」「何も変えない・何も足さない・あるがまま」というスタンスだけが、自然体なのではなく。

 

僕は、「これは受け入れがたい!」「これは変えなければ!」という感じの心理状態も、むしろ自然なものとして受け入れるほうが好きですね。

 

 

 

 

そもそも「自然」というものは、残酷で理不尽で利己的な側面もあるものだと思う。

 

時には、理不尽で不平等としか思えないような障害・病気・逆境・不遇もある。

 

生命や人生や動物というものは、不平等でもありますし。

 

(持って生まれた個体差がある。能力にも、容姿にも、寿命にも、生まれた環境や境遇にも)

 

 

…しかも、そこらへんの猫やハトや虫を見ても分かるが、強い者が弱い者に暴力を振るったり、食べ物を奪ったり殺害したりすることも、決して珍しいことではない。

 

生存本能や防衛本能というものは、利己的な側面も多いと思う。

 

とは言え、そういう「不平等さ」「不均一さ」こそ、「人それぞれの個性」「人それぞれの長所」であるとも思いますが。

 

 

 

 

もちろん動物は、利己的で弱肉強食なだけではなく、

 

利他的で献身的な衝動・本能というものも、人間含め、多くの動物は持っていると思う。

 

 

 

 

要するに、利己的な側面も利他的な側面も、そのどちらもが自然ってものだと思う。

 

 

 

 

…究極的には、宇宙のあらゆる現象は、全て等しく「単なる現象」だとは思う。

 

本来的には「美」も「醜」も無いし、「良」も「悪」も無いし、「自然」も「不自然」も無いし、「利己」も「利他」も無いし、「作為」も「ありのまま」も無いように思われる。

 

 

とは言え、たいていの人は、自分なりの好みや美醜観や善悪観を持ってしまっているはず。

 

たいていの人は、道端の犬のフンより、花や夕日を美しいと感じてしまうだろうし、野球の緩慢な消化試合より、極限まで訓練されたイチロー選手の大舞台でのプレーに感動(応援)してしまうだろうし、傲慢で不躾な人の言動より、他者のことを思いやろうとする人の言動を好きになってしまうだろうと思う。

 

でも、それで良いのではないか?と思う。

 

(犬のフンが「悪いもの」と言っているわけではなく。花や夕日だけが「良いもの」と言っているわけでもなく。名人や達人や成功者だけが素晴らしい、と言っているわけでもなく)

 

 

 

 

もし私がフンコロガシやハエとして生まれていたら、排泄物は「良い匂い」と感じると思いますし、

 

深海魚として生まれていたら、光は苦手なのだから、夕焼けなんて美しいとも思わないはずです。(直視できないかも?あるいは、そもそも視力が無いのかも?)

 

 

つまり、(人間の)「美的感覚」なんてものは、普遍的な宇宙の真理ではないし、善悪や道徳や人格とは無関係だと思う。

 

要は、自然自体が美しいわけではなく、

 

「ヒト」という動物の生理や習性や身体能力、あるいは後天的に身についた美的価値観などによって、花や夕焼けを「美しい」と判断しているにすぎない。

 

 

 

 

もちろん「自然は美しい」とか、言っても良いと思う!^^;

 

私も言うし。

 

でも、「そう言っている私って心が綺麗」「人間も自然もありのままが美しい」みたいなことを付け加えてしまうのは…、

 

人間や自然の美しく見える部分だけを見て、「これこそ自然」と決め込んでいるだけだと思われる。

 

 

 

 

もし私が「夕焼けが美しいなー」とか、「花が良い香りだなー」とか言っても、心が綺麗なわけでもないし人格が良いわけでもない、

 

そんなものは、ハエやフンコロガシが、排泄物を「良い匂い!」と感じるのと大差ない気さえしている。(※もちろん彼らが、そう感じているかどうかも分からないけど)

 

つまり、単なる個人的な主観である。

 

宇宙の真理でもなければ、道徳の規範でもない。

 

 

 

 

宇宙のあらゆる事象は単なる「現象」にすぎないが、

 

個人的な主観が、何かを美しいと感じたり醜いと感じたりしているだけ。

 

そういう個人の主観・判断・趣味・快楽を、(普遍的な)真理や道徳と結びつけすぎてしまうと、少々押し付けがましいし、ややもすると差別的でもある。

 

自分の主観・趣味・価値観と違う人に対して、「センス悪い」「心が無い」「愛が無い」「不自然」「もっと自然になれ」、などと言い出してしまう人も多いので。

 

 

僕は個人的には、「そんな小難しいこと言わず、個人的な趣味・快楽として、普通に楽しめば良いじゃん?」と思います、

 

単なる個人的な趣味・嗜好・感覚・判断・価値観などを、これこそ普遍的な真理だとか、これこそ道徳の見本だとか、これこそ自然体の見本だとか、人間は皆こういうものだとか(?)、

 

そういう、ややもすると排他的なことを思い込まずに。

 

 

 

 

もちろん自分が「良い」「美しい」と感じたものは、思ったまま発言して良いと思うし、他者に推奨したりしても良いと思います!

 

でも、単なる自分の主観・価値観・好き嫌いを、人間全てに当てはまる、この世の普遍的な真理・正義・自然・良識だと思い込んでしまうのは、僕は良くないと思う。

 

 

…いや、思い込むだけなら仕方ないか。

 

考え方は人それぞれ、自由であるべきだし。

 

ただ、それを素朴に発言しすぎてしまうと…、自分好みの道徳や、自分好みの自然体や、自分好みの自然観を、他者に強要しているだけになってしまう可能性はある。。。

 

(もちろん私も、そうなっている可能性は常に有る)

 

 

 

 

さて長くなりましたが、

 

個人的には、今のところ、「自然よりも不自然のほうが好き」という意見です。

 

理不尽で利己的で、不平等で残酷な「自然」や「あるがまま」よりも、

 

頑張って理想の世界を築かなきゃ、と思う!

 

 

 

 

人間も自然の一部なので、

 

ある程度、不平等・利己主義・弱肉強食なのは当然ですし、そられ全てを無くすべきとは思いません。

 

ある程度は、利己主義も自然なものだと思いますし。

 

 

ただ、それを認めたうえで、

 

最低限、誰でも衣食住や教育が保証され、ある程度は均等にチャンスを与えられ、

 

そして、あからさまな差別・誤解・暴力・偏見・冤罪・不平等・利己主義・イジメ・パワハラ・セクハラなどが、あまりにも公然のこととして存在しない世界のほうが、私は好きです。

 

 

 

 

私の主張は、「誰もが利他的になれ」というようなことではなく。

 

むしろ逆かもしれません。

 

人間完璧ではないので、誰でも、無意識的に差別をしてしまったり、無意識的に利己的になってしまったり、無意識的に(他者を)誤解してしまうこともある、

 

(※「言葉」も「行動」も「音楽」も完璧なツールではないので、(表現者の)気持ちや真意や意図は、常に、誤解されたりする可能性はある)

 

 

でも、それが当然だと思うので、

 

その事実を認め、「あまりにも自分の判断・解釈・価値観を盲信しすぎないようにする」、

 

そんなイメージです。

 

 

自分が感じたこと・判断したことに、大いに自信は持っていて良いと思いますが、

 

同時に、(自分のことを)盲信・過信しすぎず、

 

たまには一歩立ち止まって、自分の判断・言動・価値観を見つめなおしたり、反省したりすることも大事なのではないだろうか。

 

 

「私という人間は、時には誤解や差別をしてしまう存在である」、

 

そういうことを素直に認めている感性は、僕は大事ではないかと思っています。

 

 

 

 

そんなわけで、あまりにも自信満々に「ありのまま」で、自然すぎるのや自然体すぎるのは、僕は良くない感じがしてます。

 

 

すなわち、「あるがまま」「自然のまま」に甘んじるだけではなく、

 

(人間社会や自分自身の)現状を、反省したり、嫌悪したり、時には憤ったりして、

 

より理想的な世界(より理想的な自分)を創造する力を持っていると思うわけです。

2020.04.18 Saturday

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