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2017.03.31 Friday

批評・批判・レビューについて(1)

(※本日、三つ目の記事更新です)

 

 

最近の風潮なのか、あるいは昔からそうだったのかは分からないが、

 

例えば誰かが、何か意見や個人的好みを発言するだけで、「そう考えない人もいる」「そう思わない人もいる」「(その人達に)配慮せよ」「自粛せよ」、

 

みたいな空気には、少々息苦しさも感じます。

 

だいたい、「そう思わない人もいるから配慮せよ」とか言ってる人も、(大抵は)、本当に全ての立場の人間に配慮しているとも思えないのだ。。。

 

 

 

 

音楽界・エンタメ界でも、そのようなことは、よくあることです。

 

例えば、映画や音楽や小説など、何かの作品に否定的な感想を言った人がいたとして、(ちゃんと丁寧な言葉遣いで言ったとして)、

 

で、そういう感想に対して、「そう思わない人もいるから配慮せよ」とか、「ディスったり批判したりする人は心が狭い」とか、「もっと素直に楽しめばいいじゃん?」とか、「批判せず何でも楽しみなさい」とか言う人がいるものですが、

 

そういう方達は、ご自分はどうなのだろう?とも思ってしまう。

 

世の中の全ての音楽作品・全てのエンタメ作品を、平等に愛して楽しんでいるのだろうか?

 

(あるいは、そういう方達は、人それぞれの意見の違い・好き嫌いの違い自体は認めているけど、「否定的な感想を言うこと」を問題視しているのか?…つまり、「好き嫌いは持っても良いが、それを口外するな」という主張なのだろうか?それなら、分からなくもないが)

 

 

でも、そういう方達だって、たいてい、「この小説家は苦手」とか、「このテレビ番組は下らない」とか、「この歌手の声は好きになれない」とか、「このゲームはつまらない」とか、

 

ひどい場合は、「このアーチスト(タレント・アイドル)消えろ」などと言っていることも多いものである。

 

 

 

 

私の実体験でも、そのようなことは多々ありまして。

 

以前、口では「批判はやめて何でも幅広く楽しみなさい」とか、「みんなそれぞれ自分らしく歌えば(演奏すれば)それでオーケー。コンクールみたいに、良い悪いや上手い下手にこだわるな。飾らず作らず、ありのままで良い。誰もがもともと特別なオンリーワン。人と比べるな」とか言っている人が、

 

露骨に「彼の演奏は誰よりも素晴らしい」とか、「あのピアニストの演奏には心が無い(魂が無い)」とか、「Aさんの演奏には愛があるが、Bさんの演奏には愛が無い」とか、「ゲーム音楽やアニメソングなんか音楽じゃない」、

 

などと言っているのも、私は何度も聞いたこともある。

 

 

 

 

僕は、辛口な意見・感想・批判・レビュー自体は、構わないと思うのです、

 

私自身は、そこまで露骨に何かを全否定することはしないけど、そういう辛口・毒舌な人がいても良いとは思っています、

 

人それぞれで良いと思ってますので。

 

 

ただ、そういう方達は…、自分自身が辛口・毒舌で、明確な意見や好き嫌いを持っているくせに、

 

なぜ、他者の意見や好き嫌いを聞くと、「お前は気難しい」とか「ディスるな」とか、「もっと心を広く持て」とか「もっと何でも楽しめ」とか、「比較するな」とか「評論家ぶるな」とか、

 

どうして言えるのだろうか?

 

自分は意見・感想・好き嫌いを持っても良いが、他者は意見・感想・好き嫌いを持ってはいけない、ということだろうか?

 

 

例えば音楽大学の友人・講師・教授、プロ音楽家の知り合いなどでも、そういう矛盾に満ちたことを言う人はたくさんいましたが、

 

他者が意見を持つこと自体を禁止しているように見えてしまい、とても嫌な感じがしたものだ。

 

そういう方達は、ご自分の意見・感性・判断・価値観だけが正しいと、思い込みすぎてしまっているのではないか?

 

(あるいは、「人は皆、私と同じ意見や好みでなければダメ」と、思い込んでしまっているのではないか?)

 

幸い最近は、そういう方と実際に接する機会はほとんど無いが。

 

 

 

 

他者の意見や作品の「内容」「言い方」「表現の仕方」について、批判したり反論したりするなら、私は全然構わないと思ってます、

 

なぜなら、何かに反対したり反論したりすることは、誰もが持つ正当な権利だと思うから。

 

でも、他者が「(自分の)意見や好みを持つこと」自体を禁止するような言い方は、してはいけないのではないか?と思う。

 

 

よほど選民思想とか、よほど被害妄想とか、よほど自分の意見だけを正しいと思い込んでるとか、よほど偏見・差別・勘違いに基づいた意見や感想などは、諌めたり禁止したりする必要もあるでしょうが、

 

そうでないなら、人それぞれ、自分なりの意見や好みを持っていても良いと思うのだが?

 

 

 

 

私は、誰しも意見や好みや価値観を自由に持って良いと思うし、自分の好きなものを表明したりすることも、誰しも、やって良いと思っている。

 

この森羅万象・千変万化の世の中、各々、とりわけ惹かれるものや、とりわけ感動するものがあるのは、当たり前のことだと思うからだ。

 

そしてまた、各々、苦手なものや嫌いなものがあるのも、仕方ないと思うからだ。

 

 

そういう、「差別に満ちた自分」というものを自覚しつつ…、

 

「私の好みや意見や価値観は偏っている」ということを自覚しつつ…、

 

 

せいぜい、「あまりにも食わず嫌いにならないよう注意しよう」、「自分の好み(価値観)を他者に押し付けすぎないよう注意しよう」、「よく知りもしない人や音楽作品を、先入観や知ったかぶりで嫌わないよう注意しよう」、

 

そう気をつけようとするくらいしか、私には出来ないですね。

 

「全てを平等に好きになれ」という価値観や、「批判・比較・選り好みは絶対ダメ」という価値観は、私には、ちょっと難しい。

 

(あと、「この音楽作品は誰にとっても素晴らしい」「この音楽作品は誰にとってもクズ」「誰もがこういう考え方をすべき」というような意見・価値観も、私には馴染めるものではない。自由度が狭すぎて、息苦しくなってしまう)。

 

 

「何でもかんでも好きになりましょう」「誰とでも必ず仲良くしましょう」という雰囲気よりも、

 

気を使いすぎず、意見も批判も、お互い自由に言い合える雰囲気のほうが、私は好きですね。

 

(※ただし、どう考えても間違っている意見・感想・批判というものも存在します。それは例えば、ワルツを聞いているのに、「心地良い四拍子だなあ」というような感想です。あるいは、古風で保守的なスタイルで作曲されているのに、「アバンギャルドで現代的な曲だなあ」というような感想です。いくら、意見や感想は各々の自由とは言え、最低限、そういう部分は「正解」が有ると思います)。

 

 

 

 

そんな私とて、嫌いな作品・嫌いな人に対しても、もちろん愛や尊重や応援の気持ちは感じています。

 

心の奥底では、全てを平等に愛しているような感触も持っています。

 

…しかしながら、多少の選り好み・好き嫌いを持ってしまうことも、仕方ない気がします。

 

 

 

 

そもそも、「愛」と「好き嫌い」は違うものだとも思います。

 

嫌いなものを応援したり愛したりすることは、充分可能だと思っていますし、

 

愛している者を叱ったり批判したりすることも、そう珍しいことではないと思います。

 

(愛していたりリスペクトしたりしている人に対しても…、その人の個々の行動、個々の発言、個々の作品、個々の演奏・パフォーマンスを、批判したり問題視したりすることは、ありうると思います。どんなに好きな人のことでも、「教祖」みたいに、その人の全ての行動・発言は正しいものだと、盲信しすぎてはいけないとも思いますし)。

 

 

 

 

「意見が違う」ということと「仲が悪い」ということは、イコールではないはずだとも思うし、

 

…逆に言えば、「仲が良い」ということは、必ずしも「(お互いの)意見が同じ」、というわけではないとも思います。

 

 

 

 

ついでに言うと、「多様性を重んじる」ということは、、、

 

必ずしも、この世の全ての価値観に同意・共感するということではなく、全てを完璧に思いやるということでもなく、

 

むしろ、この世の中には、自分には同意・理解・共感できない人や立場や価値観がたくさん有るということを、当然のこととして認めることだと思っています。(※自分の視野や理解力には限界があることを認める)

 

で、無理してまで理解しようとしたり、無理してまで仲良くしようとするのでなく、

 

せめて、お互いに争ったり、自分の価値観だけを正しいと信じすぎないようにする…、

 

そんな感じのイメージです。個人的には。

 

 

 

 

「好みや価値観は、一人一人違うものである。一人一人違って良い」、

 

そんな感覚が、私は好ましいです。

 

「一人一人違って良い」と思うからこそ、自分とは違う意見・感性・価値観の人のことも、リスペクトを感じられますし。

 

 

私は、よほど独善的で傲慢な人でなければ、どんな意見や感性や価値観の持ち主であっても、(私とは違う意見・価値観であっても)、たいてい、リスペクトや親しみを感じられます、

 

反面、「一人一人違ってはいけない」「こういう考え方こそが正しい」「こういう作品だけが素晴らしい」「全てを好きにならなければいけない」「選り好み・好き嫌い・比較・批判は悪」「私の意見だけが正論・正義」という感じの言い方は、息苦しく感じられてしまいます。

 

一人一人自由なはずの嗜好・意見・価値観が、禁止されてしまっている気がするので。

 

 

 

 

最低限、価値観や生き方の多様性さえ認めていれば、

 

誰でも、自分なりの意見・好き嫌いを表明して良いと、私は思っています。

 

もちろん、無理して表明することもないけど。

2017.10.09 Monday

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