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2016.05.19 Thursday

シューベルト作品紹介(インスト編)

不定期でお届けしているクラシック紹介記事です。

毎度ですが、お時間とご興味のある方限定で、お楽しみ頂ければ幸いです。

本日の記事は、私が最も愛する作曲家と言っても良いシューベルトです。



さて、シューベルト作品の特色としては、

1.旋律の美しさ、親しみやすさ。

2.光と影が同居しているような(?)、明るいとも暗いとも言えない、独特な雰囲気。

3.圧倒的な繊細美。

そんなところだと、(私は)感じています。










まずは超有名曲、「楽興の時」の3番です。

不思議な曲だと思う。

素朴な民謡風・舞曲風と言えるかもしれない。

しかし、この独特な雰囲気は、いったい何なのだろう!?

夢の中で見た風景のような(?)、不思議な郷愁と儚さを感じます。










「即興曲」、D935-1。

これは、とにかく大好きな曲です。

曲の開始はドラマティック、

しかし0:40から、さっそくシューベルトらしい繊細美が炸裂。

そして1:52からの旋律は美しい!

ショパンやチャイコフスキーみたいに、叙情的に泣きまくるロマンティックなのも好きだけど、

このシューベルトのメロディーの雰囲気は、もっと控え目で、内省的なニュアンスだろうか?

それでいて、憧れや喜びも大いに感じられ、まるで、心が自由に羽ばたきたがっているような雰囲気で(?)、

慰められるような共感・安らぎも、(私は)感じます。


そして、3:03からが最高です!

長調と短調を微妙に移ろい続ける、深々とした独特の世界。

4:20から少し切迫するのだが、4:40で、夢想するような内省的なニュアンスに戻る。

私は、特に幼少の頃は、いつも、この曲のような感じの内面で日々を過ごしていた気がします、

小学生〜中学生くらいでシューベルトに出会い、私の心の中が、そのまんま音楽になっている気がして(笑)、

勝手ながら、強いシンパシーを感じました。

(救われた感じさえしました)。










ピアノ連弾曲、D947です。

こちらも、好きすぎる曲。

やはり、曲の開始はドラマティックです。

そして1:43からの雰囲気は、何とも言えず甘やかというか、安らぐというか。。。

で、しばらくその雰囲気を持続したまま、2:48〜3:40は、繊細な高音が美しい!

風景や情景に喩えるなら…、天気雨の時、空中の雨に光が反射して、キラキラ輝いているような感じか?(陳腐な喩えではあるが)。

とにかく最高です。


しかも、この部分は、「無音」よりも静かな感じさえします。

日本なら、「静けさや 岩に染み入る蝉の声」という言葉がありますが、

要は、「音があることによって、むしろ、無や静寂を感じるような感性」。

これも、シューベルトの真骨頂の一つ!

静寂や沈黙の美しさは、日本だけの専売特許ではないのだ、

国籍・性別・年齢などに関係なく、多くの人が持っている普遍的な感性ではないかと思う。

(今は指揮者として活躍されている、クリストフ・エッシェンバッハ氏の繊細美を極めた演奏も、素晴らしいと思います)。










「即興曲」、D899-1。

これも、D935-1と同じくらい好きな曲です。

冒頭、序章風の部分が長く、ようやく2:02から、流れるようなメロディーがはじまる。

その後、メロディーやコード進行が、自由自在に移ろう…、

とても自由なのだけれど、言い換えれば、「心が不安定」ということかもしれない。

(あるいは、「不安定なところで安定している」とも言える)。

実に繊細で、なおかつ、自由に広がるような歌心が素晴らしい。

3:27からの旋律は、ちょっとショパンっぽい、憧れるような甘さを感じさせるも…、

3:51から、またすぐに、ダークな繊細さを取り戻す。

不穏!

まったくシューベルトの作品は、「ああ、ようやく安定した」と思っても、数秒しかもたない(笑)。

この不安定な不穏さ・繊細さ・内気さ・儚さ・美しさが、わたくし、大好物なのだります。(「全ては移ろいゆく」という感覚や人生観も、曲の中に充満しているように思います)。

5:10からの情熱的な感じもグッド!(でも、言うまでもなく、すぐにナヨナヨする)

5:48からの雰囲気変化などにも、ハッとさせられます。










この動画は、「楽興の時」全6曲入りです。

ご興味あれば、聞いてみて下さい。

(※0:00からが1番、5:35からが2番、11:55からが3番、13:50からが4番、19:10からが5番、21:20からが6番)。

この記事の冒頭で、有名な3番を紹介させて頂きましたが、

2番や4番も名曲だし、繊細すぎて、不穏ですらあります。


一般的には、全6曲のうち、2番と3番が有名ですし、名曲とされています。

でも、穏やかで深々とした6番も人気が高く、「生涯の一曲」とする人も少なくないですね。(私の知り合いでも、数人います)。

6番のニュアンスは、確かに凄いです。

旋律プラス、和音(コード進行)の移り変わりに、浸るように聞いて欲しいですね。


あと個人的には、1番も凄いと思う。

冒頭、素朴で平凡なようで、それでいて、どこにも存在しない感じの希有なメロディー。

(普通、作曲家という人種は(?)、曲の開始から、自身の力量・才能・感性を表現しようと、大仰にドラマティックに開始してみたり、何かしらフックのある開始をすることが多いと思うのだが…、「楽興の時」1番は、まあ無欲というか、無心というか、空気のような始まり方だと思う。こんな力みの無い曲を、二十代半ばの若者が作曲したとは、なかなか信じられません。(作曲当時シューベルトは二十代)。シューベルトには、自己顕示欲とかギラギラした野心とか、持っていなかったのだろうか?)

二十代半ばでこんなメロディーを書くのなら、そりゃ、早死にするだろうな…、という印象すらあります。

ピントが、現実社会や人間社会から、ちょっとズレていますから。

(今風に言えば、「不思議ちゃん」だったのかもしれません)。


…いずれにせよ、冒頭のメロディーが、ある時は右手で奏でられたり、ある時は左手で奏でられたりして、自由に変奏・展開されるのだが、

自由すぎて、何となく心の方向性が定まらない感じ。

(「自由」ということは、「不安定」ということでもあるのかもしれない)。

で、1:29からのメロディーも、非常にシューベルトらしい感じ。

歌謡的で親しみやすい。

そして2:41からは、そのメロディーが短調で奏でられる。

これぞシューベルト!

「楽興の時」は、技術的には、どの曲も割と簡単に弾けるので、中学生頃、毎日のように弾いていました。






さて、シューベルトは31歳で亡くなっています、

短い生涯に1000曲ほど作曲しましたが、5分程度の歌ばかりでもなく、1時間くらいの演奏時間のオーケストラ曲・ミサ曲・ピアノ曲・歌曲集なども数多いです。

そういう長大な曲も、一つの作品としてカウントしても、トータル1000曲ほどなので、とてつもないスピードで作曲していたのだ。

曲調のニュアンス的にも、生きてるか死んでるか分からないような(?)、

現実世界に全く焦点が合ってなくて、幻想的で夢想的で内面的、

気分や情景が、常に不安定に移ろっている感じ…。



だいたいの作曲家は、曲を聞けば、人間らしい苦悩とか歓喜とか、喜びとか哀しみとか、性格とか人格とか、曲から感じることが出来る。

しかしシューベルトの場合は、なにか違う。

もちろんそういう要素も感じるのですが、

しかしながら、いまいちシューベルト自身の感情・主張は薄め。

「自我や感情を表現している」というより、「自我や感情が移り変わりゆく儚さ」を、表現しているような感じもする。

(説明が難しいのですが…、要は「自己」を表現しているというより、「自己の不在」「自己の不安定さ」を表現しているような感じ…、と言えば良いだろうか?)

…あるいは、「人間の心」を表現しているというより、もっと謎めいた正体不明のもの、、、

例えば、宇宙とか霊界とかから(?)音楽が降ってきたというか、

この世ならぬ世界と交信しているような雰囲気さえ感じます。


(※よく、「音楽というものは、作曲者や演奏者の心がそのまま出る。その人そのもの」というような意見もあるし、それはその通りだとは思いますが…、でも、それだけだと、ちょっと認識が狭い気もする。どう考えても、作者・奏者の人間性を超越してしまったような音世界や、作者・奏者が「無」になってしまったような音世界も、絶対に有ると思いますから)。






シューベルトの曲、全てが傑作だとは思わないが、この記事で紹介した作品は、かなり凄いのではないかと思う。

「歌曲王」と呼ばれていますが、あえて、器楽曲のみ取り上げました。

もちろん、歌曲も傑作が多いですが!

(私は歌曲では、「若い尼」(D828)と「夜の曲」(D672)が、最も感動した2曲です。どちらも奇跡的!もし機会があれば、ぜひ歌詞(対訳)を見ながら聞いて欲しいです)。




ちなみに、シューベルトのピアノ曲のような、異常に繊細な音楽の場合、

私は、あまりメリハリを付けず、テンポも揺らさず、繊細の音の移り変わりを淡々と味わうような演奏が好きです。

慎ましやかなシューベルトの繊細美を、感情的に仰々しく演奏されると、個人的には、かなり萎えますね。


ショパンやラフマニノフのようなピアノ曲の場合、ある程度、メリハリが重要だと思っています。(もちろん曲にもよりますが…)。

しかしシューベルトやモーツァルトの場合は、「過度に表現しすぎると陳腐になってしまう」という曲が多いような気がします。




当記事で紹介したピアノ作品や、あと「未完成交響曲」あたりも、この世ならぬ美しさです、

で、あまりにも「この世ならぬ」感じが強すぎるため、

演奏者が、自分の個性・感情を強く出して表現しすぎると、人間らしくて「この世っぽい」音楽になってしまう(笑)。

「曲が演奏者に隠れてしまう」と申しましょうか。。。

(曲の持つ息遣い・儚さ・霊妙さ・夢幻性が失われ、感情や自我だけの音楽になってしまう…。)



というわけで、シューベルトのピアノ曲を聞くなら、

あまり自分の個性・感情をぶつけるタイプのピアニストではなく、

音楽そのものの持つ微妙な機微・息遣い・霊妙さに、ちゃんと気づけるようなタイプのピアニストが好きですね。



私が好きなのは、何と言ってもクリストフ・エッシェンバッハさん!(彼の弾くシューベルトCDは、多分もう廃盤だけど)

エッシェンバッハ氏のモーツァルト演奏は、実は私はイマイチ苦手なのですが、シューベルトやベートーヴェンやバッハはとても好きですね。(あとツェルニーも好きです。笑)

その他だと、田部京子さん、アンドラーシュ・シフさん、ウィルヘルム・ケンプさん…、

そのあたりが、私がシューベルトを聞く時に、好んでチョイスするピアニスト。

エッシェンバッハは廃盤だと思うので、現状、シフさんや田部京子さんがオススメです。



上記のようなピアニストは、たまに「表現力が無い」と批判されることも多いです。

しかし、「表現力が無い」のではないと思う。

「表現しすぎない」という表現なのだ。

「ピアニスト自身が音楽を生み出す」というより、ピアニスト自身は気配やオーラを消して、音楽そのものの息遣いに耳を傾けるようなタイプだと思います。


料理だって、味が濃ければ必ず美味しいかと言われれば、そんなことは無いはず。

音楽も同じだと思うが、「味が濃い」=「音楽性・表現力・個性が豊か」、「味が薄い」=「音楽性・表現力・個性が乏しい」、

というわけではないと思うのだがなあ。



ちなみにシューベルト「即興曲」シリーズは、50人以上のピアニストのCDを聞き比べた思い出もありますが、他の作曲家に比べ、気に入る確率が低い…。

私自身、それだけ惹かれている、ということだと思いますが、

あるいは、演奏の際、「調理・味付けの塩梅が難しい作曲家」、ということでもあるのかもしれない。





さて最後に、個人活動なので恐縮なのだが、私の作曲のピアノソロ曲、下記サイトで聞けます。

https://soundcloud.com/shimpei-yamashita

シューベルトの影響も、やはり強いと思います。

もしよろしければ聞いてみて下さいませ。

自分としては、「森のささやき」「幼少のころ」「木漏れ日につつまれて」あたりがお気に入り。

2017.10.09 Monday

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