好きな番組

こんばんは。

 

今日は、好きなテレビ番組を紹介させて頂きたいと思う!

 

最近テレビはほとんど見ないですが、欠かさず見ている番組が二つだけあって、その一つは「ジョジョの奇妙な冒険」、

 

もう一つは、「あいつ今何してる?」

 

番組公式サイト

http://www.tv-asahi.co.jp/aitsuima/

 

 

 

 

これは好きな番組です!

 

毎回違うゲストタレントさんの、小・中・高校生頃の親友や初恋の相手の、「今」を取材する番組。

 

(ゲストタレントと学生時代は仲が良かったが、その後連絡を取っていない同級生の今現在を取材する、という感じの内容です。その同級生が、社会人になってからどんな人生を歩み、今どんな仕事をしているのか、結婚しているのかどうか、どんな日々を過ごしているのか…)。

 

 

 

 

文章で説明すると堅そうですが、これが面白い!

 

みんなそれぞれ自分の人生を頑張っていて、素直に心打たれるし、応援したくなるし、自分も頑張ろうと思えてきます。

 

同級生の中には、波乱万丈な人生を送っている者もいたりして、

 

様々な生き方を垣間見ることで、視野が広がるような感覚もあります。

 

 

この番組…、おそらく、今無職になってしまっている方とか、今ご病気になってしまっている方とかは除外して、そこそこ成功している同級生だけを取り上げているとは思いますが。^^;

 

 

 

 

有名な芸能人・アーチスト・アスリートの伝記でなくても、

 

どなたの人生も、それぞれ悩みやご努力に満ちていて、とても共感・感銘を覚えました。

くたばれ、ブリキ野郎!

割と最近のアニメですが、「翠星のガルガンティア」が好きであった。

ストーリーも世界観も魅力的だし、登場人物もそれぞれ魅力的!

途中、少々ストーリー的にダレはしたが、最終回で見事に盛り返した。

ラストは、私は滂沱の涙でした。

特にチェインバー(人工知能ロボット)の最後のセリフは、人類への愛・優しさ・励ましに満ちていて、

そして、反骨的なロック魂にも満ち溢れていて、実に素晴らしいものであった。実に励まされるものであった。

(ややターミネーターチック。やや自己犠牲チック。ロボットなのに人間的チック)。




で、ニコニコ動画に、そのラストシーンに、勝手にキース・エマーソン作曲の歌を流している動画があって、(なぜか「幻魔大戦」主題歌を、ガルガンティアのラストシーンに合わせている映像作品)、

それが、奇跡的にタイミングが合っていて、(アニメが盛り上がる時に、ちょうどサビに差し掛かったり)、

ものすごく感動的だった。

ひょんなことで見つけた動画だったが、世の中には色々なことを試す人がいるものだな、と思った。

面白いものだ。




当ブログ読者に該当者はまずいないだろうけど、

「ガルガンティア」が好きで、なおかつキース・エマーソンの曲が好きな方は、ぜひニコニコ動画内で検索して探してみて下さい。

映像と音楽の融合、奇跡と言って良いと思う!

久々に映画を見た(※ネタバレ有ります)

オススメされた映画「12モンキーズ」見た。
 
2035年の未来人がタイムトラベルして、1996年に細菌ウィルスが散布され、人類滅亡に向かうのを防ごうというストーリー。
 
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などもそうだが、全編、伏線だらけという感じでした。
 
過去と未来の因果関係や、少しずつ真相が分かっていく感じは面白かった。



 
私は特に、
 
1.ヒロインの美人精神科医が、ブルース・ウィリスの正体に気づいていくところ
 
2.ブルース・ウィリスが、幼い頃から何度も見続けた夢の正体(真相)
 
その二つが、ゾクゾクして面白かった!



 
上記のゾクゾク感…、今まで見た作品で、似た感覚を二つあげると、
 
まず一つ目は、ファミコンゲームの「ファイナルファンタジー1」。
 
長い冒険の旅をして、手強い四匹の魔物を倒し、一件落着、これで世界に平和がもたらされるかと思いきや…、
 
なぜか、旅のスタート地点あたりに禍々しいオーラを感じ、そして、衝撃のラスボス!
 
「全ての黒幕は、お前だったのか!?」みたいな。
 
主人公達の正体(?)も衝撃的でしたし、あれは鳥肌モノでした。
 
二つ目は、「ジョジョの奇妙な冒険」第5部のラスボス。
 
少しずつ、ラスボスの正体・真相に肉薄していく緊迫感。
 
その異常性と、禍々しい真相にゾクゾクする感じ。
 
あれも、鳥肌が圧倒されたものだ。



 
FFやジョジョほどはゾクゾクしませんでしたが、「12モンキーズ」も、ちょっと似たような感じでした。
 
サスペンスなどで、意外な人物が真犯人だった時のゾクゾク感と、似ているかもしれません。



 
さて映画の感想に話を戻すが、
 
ラスト直前、映画史上に残るほどのバッドエンドに直面し、沈痛な気持ちにさせられ、この映画を見たことを後悔さえしたが、
 
どっこい、ラストシーンで、執念のような希望を感じた。
 
ブルース・ウィルスの奮闘…、
 
いや、我々の、日々の奮闘や行動は、無駄ではないのだ!
 
きっと。。。



 
報われないことも多い世界…、
 
このろくでもない世界…、
 
我々の苦痛や悲しみは、宿命づけられた不可避のものなのか?
 
我々の狂気や愚かさ、過剰な独善性・利己性は、不可避のものなのか?

(だとしたら、生きることに何の意味があるのだ?)
 
しかし意地のように、執念のように、エンドロールで流れるサッチモの「この素晴らしき世界」、
 
この歌が、全ての回答のようにも思えました。
 
しゃがれた歌声が、祈りや応援歌や鎮魂歌のようにさえ、心に響いてきました。



 
それにしても、まとめサイトや解釈サイトを読んでみたが、
 
「ウィルス」に関わる危機なのに、主演がブルース・「ウィリス」というのが、何となく、ややこしい!^^;
 
「ウィルス」と「ウィリス」を空目して、私は、しばしば文章の意味を見失い、生きる目的まで見失いかけた。(嘘だけど)



 
さて面白い映画ではあったが、いまいち大傑作とは思えなかったかも。
 
この感じのストーリーなら、個人的には、もう少し娯楽的で分かりやすいほうが好みかもしれない。
 
言われるほど難解ではなかったし、「マルホランドドライブ」などとは違って、とても理解しやすいのだが、
 
むしろ、それこそ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ターミネーター2」みたいに、一切考えたり解釈したりする必要がなく、
 
設定や、状況や、キャラクターが考えていることが、もっと分かりやすく、
 
人物への感情移入や、謎解きのハラハラ感を全面に感じられるような作り方のほうが、好ましかった。。。
 
(重大な謎や真相は隠したままで、その他のところは、徹底的に分かりやすくして欲しい気がした)。



 
私が思考停止していると言えば、その通りかもしれない、、、
 
しかし、むしろ思考を停止するために見たいと申しましょうか、
 
ディズニーランドのアトラクションなどと同じで、余計な解釈とか、監督の手腕とか、製作者の手腕とか、アート的な雰囲気とか…、
 
見ている瞬間は、そういうことを忘れて、ひたすら娯楽的に楽しみたいというのが正直なところ。



 
言い換えれば、「12モンキーズ」、
 
アート感やカルト感が余計だし、中途半端な気がした。
 
もしアート感やカルト感を追求したいなら、やりすぎなくらい、もっともっと追求して欲しいと思った。
 
…しかしながら、この素材(ストーリー)は、そっち系の作品を作るためには、やや相性が悪いようにも感じた。
 
素材(ストーリー)は良いけど、素材の調理方法に疑問を感じたと申しましょうか…。
 
(※もちろん、ただ単に私の心が狭くて、(妙な固定観念が強くて)、この映画を受け入れにくかった…、という可能性もあります)。




もし、人間の意識やアイデンティティーの曖昧さ・脆さを表現したかったのなら、もっと別の素材(題材)のほうが良かったのではないか?

そんなふうに感じました。



 
でも、それはそれとして、これだけの作品を作り上げたことは、言うまでもなくリスペクト。
 
この作品を鑑賞することによって、アート・娯楽・創作・生き方について、あれこれ私なりに考えたり探求したりする機会も与えてもらったわけで、
 
好き嫌いに関わらず、「心から拍手!」「ありがとう!」「えらいよ!」
 
というのが、私の鑑賞の基本姿勢。
 
音楽でも映画でも漫画でもスポーツでも、私の観戦や鑑賞の基本姿勢は、そんな感じです。

2014.4.15(2)

(前回記事の続き)
 
さて、『アナと雪の女王』を見たら、
 
『塔の上のラプンツェル』も見たくなり、
 
見た。
 
DVDで。
 
見たのは5度目くらいだが、
 
最高だッ!!
 
私、この作品、ディズニー作品で一番好きかも。
 
キャラが魅力的で、
 
歌が極上で、
 
手に汗にぎるストーリーだ、
 
ぶっ飛ぶほどの映像美!
 
ふわ、素晴らしい。
 
私、理屈抜きに楽しめる映画が大好きで、
 
例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や、『ルパン三世 カリオストロの城』や、『プロジェクトA』や、『スターウォーズ(旧3部作)』など、
 
大好きなのですが、
 
ラプンツェルも、同じレベルで好き。
 
しかも、ただ単に楽しいだけじゃなくて、内容が深くて泣けますし。
 
笑って泣けて、ハートウォーミング!
 
最高です。
 
まあ、映画や音楽というものは、それぞれの作品に魅力があるので、
 
あまり比べすぎるものではないだろうし、いちいちランキングを付ける必要もないのだが、
 
しかしながら、やはり音楽も映画も、その「感動度」みたいなものは、大きい小さいが存在するのは仕方ないことだ。
 
(多少は、選り好みをしてしまうのは、仕方ないことだ)。
 
あと、こういう素晴らしい作品を見ると、
 
「私も、もっと突き詰めて音楽・創作やらなきゃ」と、思いました。

2014.4.15(1)

先日、映画『アナと雪の女王』を見てきました。

いやー、素晴らしかった!

目から涙!

鼻から牛乳!

二階から目薬!

…いや、牛乳や目薬は関係無いですね。

まあとにかく、面白かったわけです!

パパウ、パウパウ!

3Dで見たのだが、人物や自然が、さわれそうなほどの臨場感!

何と見事な総合芸術であり、エンターテインメントだろう。

特に3Dで見ると、これはもう、「人類の宝」というか、「世界遺産」というか、

そういうレベルで凄い作品だと感じた。

(「絵が飛び出す」なんて生易しいレベルではなく。自分が、登場人物達と同じ場所に居る感覚でした。雪の冷たさや、木々の匂いなどさえ、リアルに感じられそうでした)。

あまりにマジカルすぎて、鑑賞中、ずっと私はポカーンと口を開け、ヘラヘラ笑いながら涙ぐみ、1曲終わるごとに、立ち上がって拍手したくなりました!

ストーリー的にも、ファンタジーでありつつ、多くの人が共感できるであろう、人間の普遍的な内面を描いていると感じました。

ディズニーアニメは、『アラジン』や『リトルマーメイド』や『塔の上のラプンツェル』も大好きでしたが、

どれも、映像美やストーリーが見事ですし、

さらには、「ミュージカル仕立ての歌」!

これだ。

 
歌やメロディーが、登場人物の感情・心情を見事に表現していて、泣けます。
 
ポジティブな感情だけでなく、あらゆる感情、、、

喜び、悲しみ、希望、絶望、決意、迷い、夢、諦め、独占欲、嫉妬心、孤独感、ユーモア、恋心、友愛などなど、

人間の様々な心模様を歌い上げていて、涙を誘われる。

 
そういう様々な感情は、どんな感情であれ、たいてい自分自身にも身に覚えがある。

なので、思わず登場人物に共感して、自分自身のことのように思えたり、一緒に嬉しくなったり、一緒に哀しくなったり、心から応援したくなったりするのです。

 
(ポジティブな感情だけでなく、失意の感情や、悪役のエゴイスティックな感情なども、私は、自分にも身に覚えがあります。だから、ほぼ全ての登場人物に共感できるし、悪役も救われて欲しいと願ってしまいます)。

個人的な意見ですが、
 
そういう、「共感」や「応援」という感情は、

堅苦しい“道徳”なのではなくて、

むしろ、快楽だと思うし、喜びだと思うし、人間の生き甲斐だとも思うのです。

 
…まあ、「共感」というものは、自分の勝手な勘違いかもしれない可能性(危険性)が、常にあるわけですが(笑)。
 
人間関係でも、同じだと思います。
 
他者のことを「理解しよう」「共感しよう」と、心をオープンに接することは大事だと思いますが、
 
しかしながら、他者のことを「理解した」「分かった」と、100パーセント自信を持って確信してしまうような態度は、人間の能力の限界を越えていて、傲慢だと感じます。
 
人間というものは、
 
(あるいは、「言葉」や「行動」や「表情」や「作品」というものは)、
 
心の中の想い・愛情・心情・衝動などを、いつもいつも、100パーセント正確に表現できるわけではない。
 
しかも、それに加えて、
 
受け取る側のほうの人間も、

他者の作品・表情・言動などを見て、

 
自分のフィルター(価値観)を通して、勝手に解釈&評価しているにすぎないので、
 
誤解や、短絡的な早合点・決め付けがゼロとは、言い切れない。
 
要するに、人間はお互い、神様でもなければエスパーでもない。
 
そこを自覚していないと、やたら他者の内面を分かったふうに決め付けたり、
 
本来、人それぞれ自由であるはずの生き方を、「人はこうあるべき」「音楽はこうあるべき」「思いやりとはこういうもの」「愛とはこういうもの」「自然体とはこういうこと」みたいに、
 
自分の価値観が、万人にとっても正解であるかのように振る舞い、
 
やたら他者の言動を見下したり、呆れたり、叩いたりする感じになってしまう。
 
私は、極論を言えば、「愛」とか「自然体」とか「思いやり」の理想型を求めすぎないほうが、逆に思いやりがある態度だと思うし、自然だと思っています。
 
…いや、自分にとっての真理や正解や理想を追求するなら、全然自由なのだけど、
 
それを他者にまで当てはめるのは、他者の個性を否定する態度だと思う。
 
(…しかも、アートや文学や音楽というものは、時には、読者や聞き手が共感も理解も出来ないような(?)、いや、作者本人にすら理解できないような(?)、一般的な感性・常識・道徳観念などを超越してしまうような作品も、大いにアリだと思っています。
 
私、自分の発想・感性・理解などを遥かに越えた作品を、「スゴイ!」と感じることも多いですし。
 
だから、必ずしも、「共感」や「理解」ばかりが良いわけではないと思っています。
 
…人間関係も同じで、自分には考えつかなかったような言動をする人がいたとして…、だからこそ、その人のことを尊敬したり、惹かれたり、畏敬の念を感じるようなことは、よくあると思う。
 
で、それを踏まえて言いますが、
 
ディズニー作品のように、素直な分かりやすい作品で、登場人物や歌に「アア〜、共感した!」「アア〜、分かる分かる!」などと感じるのは、
 
錯覚や勘違いかもしれないですが、嬉しくて心地良いことだと感じるわけです。)

2013.7.7(2)

今更だが、『翠星のガルガンティア』最終回、泣けたものだ。

最終回のみならず、全体的に、好きな作品だった。

バトルシーンより、私は、日常パートが楽しくて仕方なかった。

チェインバーが無駄に論理的すぎて可笑しいし、レドも片言でトンチンカンで可笑しいし、エイミーは超良い子だし。

舞台は、未来の、文明崩壊後の地球…、

しかし、そんな状況でも、人々は実にたくましく、日々を面白おかしく自由に生きていて、それが何より爽快だった。心地良かった。

雄大なOP主題歌、親密で神秘的なED主題歌…、どちらの歌も、好きであった。

最終回の、チェインバー(ロボット)の最後のセリフには、泣けた。

レドへの最終メッセージ。

ロボットなのに、非常に人間的なメッセージ。

人間や生命への、応援メッセージ。

それが、涙をさそうからな。

(ターミネーター2を思い出すような感もアリ)。

最終回の、このチェインバーのセリフが、作者が、全ての人に届けたいメッセージなのだろうな、という感じもしました。

とても共感した。

2013.6.20

少し以前に、BSプレミアムで放送されたミュージカル映画、『NINE』。

録画しておいて、見ました。

恐ろしいほど、主人公の男に共感できなかった!(笑)

冒頭と最後のモノローグには、共感できるのだが。

でも、実は、そんなことはどうでも良いのかもしれない。

ある意味、安易に“共感”なんか出来たら、つまらないかもしれないし。

…例えば、『男はつらいよ』や『ミスタービーン』なども、私は、寅さんやビーン氏の言動には、ほとんど共感できないのだが…、でも、だからこそ、独特なペーソス・哀愁・悲哀・情緒などを感じます…。

つまり、すんなり主人公に共感できるタイプの作品とは、違った味わい深さを感じるのです。

映画やコメディーや、マンガやアニメや、文学や音楽というものは…、非現実的な“虚構”だからこそ、深いものを表現できる場合も、多々ありますからね。

(共感できない人物を描くからこそ、独特の憐憫・悲哀・切なさが醸し出されるようなことも、大いに有ると思います)。

しかしまあ、『NINE』の場合は、そこまでペーソスや深みのある主人公像ではなかったかも。

ある意味、私は、主人公やストーリーはどうでも良くて…、

まず、映像美・色彩美が素晴らしかった!

もちろん、肝心の音楽も、とても良かったです。

まず、オープニング曲が好きだったし、

あと、娼婦(?)、サラギーナの歌う曲!

サラギーナやバックダンサー達が、タンバリンで単純なリズムを叩いていて…、このシーンは、圧巻でした!

情熱的な生命感・トランス感覚を感じ、血が騒ぎました。

(曲が終わった瞬間、「イヤーッホ!」と拍手喝采しました)。

ルイザが、自分の夫について歌う曲なども、中盤あたりから、深々とした和音・メロディー・歌詞との一体感、心地良かった。

あと、ステファニーの歌う曲も、普段、まず私は聴かない感じの曲調だけど…、たまには良いなあ!

ガツガツした肉食系の歌の表現力、実に素晴らしい。

これまた、圧巻でした。(パーカッションやラップの部分も、素晴らしくクールでした!)

全体的には、それほど好みの映画ではなかったけど、

しかし、好みだろうが、好みではじゃなかろうが、一級品の音楽や映像作品に触れるは、刺激的だし勉強になります!

たまには、こういう、私の中には全く無い感じの感性・表現・音楽性・テーマ…、

心地良いものだ。

(あと、ルイザ役の女優さんは、えらいベッピンさんだなぁ。←死語)。

映画自体は、多分、もう見ないと思うが(爆)、しかし、いくつかの歌のシーンは、とても良かった。

特に、サラギーナの歌う曲とステファニーの歌う曲は、圧倒的でした。

歌のシーンのみピックアップして、保存版にしよう。そうしよう。

トムソーヤー

今日も色々ありましたが。

夕方、家にいたので、懐かしいアニメ再放送『トムソーヤーの冒険』を、何となく見た。

(DVDボックス、持ってるけどな。数年前から、ずっと“ケーナ奏者”に貸しっぱなし)。

いや〜、今日は見ながら、泣けて仕方なかった。

「マフ・ポッターの裁判」という回。

濡れ衣を着せられ、冤罪で死刑になりそうなマフを救う、トムの勇気、優しさ、罪悪感、ナイーブな心の揺れ。

マフが、涙ながらにトムに感謝する様子。

町の誰からも同情されない、みすぼらしい“酔っ払いマフ”が、唯一、自分のことを心配してくれるトムとハックに、何度も何度も、号泣しながらお礼を言う様子。

ええい〜ああ、もらい泣きよ、もらい泣き。

年齢とか立場とかを越えた、人間と人間の崇高な友愛を見るような神々しささえ、感じました。

私も、こうやって素直に生きたいと思いました。

(もちろん、基本的には、ドタバタで楽しい作品です)。

ちなみに、今日の「マフ・ポッターの裁判」という回は、子供心にもインパクト強かったらしい。

私が小学生頃、この回が放送された翌日、私以外の多くのクラスメートも、マフが救われたことに心から安堵しつつ…、

“インジャンジョーごっこ”が、学校で大流行したものだ。

「殺したのはインジャンジョー、おまえだー!」と大声で指差し、(もちろん野沢雅子さんの声をマネしながら)、

で、インジャンジョー役は鬼の形相で走って逃げ…、皆で、「インジャンジョーを捕まえろー!」と連呼する、ごっこ遊びなのだ。

(休み時間中、ひたすら、それだけを繰り返す遊び)。

小学3年頃でした。

多分、その時は既に、再放送だったのかもしれませんが。

子供の頃は、インジャンジョーは何て悪い奴だと思っていたけど…、今思えば、アメリカの人種差別の中で、インディアンであるジョーは、ああいうふうにしか生き延びれなかったのかもしれぬ…。

ゴロツキのジョーの他にも、宿無しのハックがいたり、黒人奴隷が虐待を受けて脱走する回もあったりして…、超ド級にワクワク楽しい作品なのだけど、同時に、とてもハートフルでヒューマンでナイーブなのだ。

あと、ハックの淡い初恋のエピソードなんかも、最高だった。

町にやって来た旅芸人の一座の女の子に、ハックが恋してしまう話。

そのエピソードには、トムが、長い道のりをガムシャラに全力疾走するシーンなどもあり…、そのシーンも素晴らしくて、放送の翌日、やはり、学校で大流行でした。

おまけに、OPとEDの主題歌も、どちらも名曲!

(加えて、やはり、トム役・野沢雅子さんの声と演技が、神憑り的に素晴らしいと申しましょうか。申しましょう!)

実写化

昨夜、テレビを見ていて、ふと思う。もし初代ガンダムを実写化するなら、マチルダさんは、滝川クリステルさんがベストな気がした…。(2012年現在)。アムロは、もちろん若井おさむ?シャア、ブライト、カイなどは、実に難しいな…。

コズミックフロント(2)

(続き)

あと、私は、天文学者や科学者の生き方に、感銘シンパシーとリスペクトを覚えたね。

一つのことだけを、根気よく何十年も観測し続け、ようやく、一つの法則や真実を発見する…。

音楽や曲作りも、少し似ていると思ったのだ。

神童みたいに、子供の頃からいきなり出来る人もたまにはいるけど…、たいていは、長期間“音”に向き合い、色々な“音(フレーズや和音)”を観測し、前時代の学者(音楽家)が発見した法則を学んだり、あるいは逆に、そういう法則を疑ってみたり、覆してみたり…、ともかく、様々な仮説・観測・実験を繰り返しながら、少しずつ、自分なりの音楽世界を浮き彫りにしていく…。少しずつ、自分の内面の宇宙が、音楽として、カタチに現れるよう探求していく…。

それにしても、宇宙に話を戻すと…、太陽系の星も含めて、1000億個以上の星々からなる、我々のいる銀河系。

そういう星々の集団“銀河”が、宇宙には、観測可能なだけで、少なくとも1700億個あるらしい。(全く、気が遠くなるような話だ)。

銀河系は、なぜ生まれて、なぜ渦を巻くのかなあ?

あるいは、宇宙には、なぜ銀河系が密集した地域と、ほとんど銀河系が存在しない地域があるのかなあ?(宇宙の泡構造)

そういう現象が在る以上、そうさせている“法則”や“意思”があるのではないかと思ってしまうのも、単なる人間的な感性・目線なのダロウカ?

いずれにせよ、この太陽系や、この地球や、我々人間が、今現在のような状態・様相・環境・本能・心理・価値観であることは、本当に一時的な、何の安定性も無い、何の保障も無い、やがて変わり行く宿命にあるもの。

それをペシミスティックに捉えるより、私は、多少なりとも、日々を自由に生きるエネルギーに変換したい気もする。

やがて全ては移り行く・消え行くからと言って、物事に対する熱意・愛着・理想等を、失いたくはないです。

とは言え、我々の大部分は、多分、自分の理想やプライドを大切にもしすぎて(?)、自分や他者の在り方に対して、あれこれ要求してしまう性質…。自分好みの愛や理想や価値観に、こだわりすぎてしまう性質…。それらは、とても素晴らしいことでもあると感じるが、時にはそのせいで、必要以上に自己防衛的・自己否定的・自己中心的・他者攻撃的になってしまうこともある…。そのことにも、諦め半分、しかし、労りや共感も感じてしまうのである。

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